【Mar_20】スロヴェニアにおけるSQUAT事情


スロヴェニアにおけるSQUAT事情@新宿カフェLavenderia

たまたま訪れたLavenderiaで、非常に興味深い話。
スロヴェニアのMetelcovaRogといったSQUAT(不法占拠地帯)を
巡った人物のスライドショーだったのだけど、
旧ユーゴ時代の兵舎をグラフィティで染め上げた廃墟群には、
システムや既得権などのキャピタリズムをモノともしない、
アナキストたちの精神と思想が溢れていた。

日本ではなぜかアナキズム=テロリズムへの誤解が蔓延しているのだけど、
アナキズムは徹底的な権威への嫌悪であり、
個人個人の「尊厳」を第一に考える思想。

テロによるシステムの刷新とは根本が違う。

日本にそれが育たないのは多分に教育が影響している。

「平等」を装い「社会構造体」を温存するキャピタリズムは
欺瞞だらけで個人の「尊厳」には目もくれないが、
仕組みを言い訳にすれば効率的であり社会は円滑に回るのだ。

アナキズムは個と個のあいだでのみ成立するので、
非常にごにょごにょしており物事が一向に進まない。

しかしそこには「生きる」ことそのものが充溢しており、
人間本来の知性と野性が共存しているように思う。

いつまでも強硬なヒエラルキーに頼ってないで、
もう少し個々の「尊厳」について思考を巡らすのも一興ではないだろうか?

【Mar_10】銀座ソニービルon津波16.7m


3月11日、この日が
来るがび、私たちは
あのときのことを
振りかえる。東日本
大震災から、早くも
6年が経った。災害
なんて、もう起きるな。
毎年のように私たち
はそう思うけれど。
災害はいつかまた、
起きてしまうだろう。
あの日、岩手県大船
渡市で観測された
津波は、最高16.7m。
もしも、ここ銀座の
真ん中に来ていたら、
ちょうどこの高さ。
想像よりも、ずっと
高いと感じたはず。
でも、この高さを知っ
ているだけで、とれる
行動は代わる。そう、
私たちは、今、備える
ことができる。被災した
人たちの記憶に想像
力をもらい、知恵を
蓄えることができる。
あの日を忘れない。
それが、一番の防災。

【Feb_23】「起こらなかった災厄」をカウントする計数能力が私たちにはない。


私たちは「存在しないもの」に囲繞されている。

「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」 私たちに「触れてくる」。

「存在しないもの」は秩序の周縁に、
理性の統御が弱まるところに出現する。

そこをある種の「受信能力」を備えたものが通りかかると、
それを手がかりにして、「それ」は境界線の向こうから「漏出」してくる。

「存在しないもの」たちと
「交渉する」ためにはどのような能力が要るのか、
どのような技法がありうるのか。

能におけるワキの多くは「旅の僧」である。

彼は秩序の周縁である土地に、
日のくれる頃に、疲れきってたどり着く。

彼はそこに何らかの「メッセージ」を
もたらすためにやってきたわけではない。

むしろ、何かを「聴く」ためにやってきたのである。

彼はその土地について断片的なことしか知らない。
だから、その空白を埋める情報を土地のものに尋ねる。

そして、その話を聴いているうちに眠りに落ち、夢を見る。
これが「存在しないもの」との伝統的な「交渉」の仕方なのである。

(そのような能における「旅の僧」のような、所謂)
「ゲートキーパー」は境界線を超えて
「漏出」してくる「もの」たちを
防ぎ止めることを主務としている。

ただし、「防ぎ止める」というのは「追い出す」ということではない。

そうではなくて、「お引き取り願う」ということである。

むりやり境界線の向こうに押し戻すのではなく、
できることなら、自主的に「帰る」ように仕向けることである。

でも、「じゃあ、帰る」と言わせるためには、
その前にひとしきり、
彼らが「じたばた」するのに耐えなければならない。
デリケートな仕事である。

そして、その一場の劇が終わったとき、「それ」は立ち去り、
私たちの世界と「存在しないもの」の世界のあいだの
「壁」の穴は修復され、「ゲート」は閉じられる。

そのような仕事を私は「インターフェイスのメンテナンス」と呼んでいる。

それは積極的に何か目に見える
「価値」や「意味」をもたらすわけではない。

「災厄が起こらなかった」というのが、
彼らの仕事が順調に推移している証拠なのだが、
「起こらなかった災厄」をカウントする計数能力が私たちにはない。

だから、彼らはふつう誰からも感謝されず、
誰からも敬意を示されない。

かつて「遊行の民」と呼ばれた人々は、
この社会的な責務を担っていた。

その「呪鎮」儀礼は古代から、
もっぱら音楽と舞踊と詩歌の朗唱を通じて行われた。

だから、私たちはせいぜいこの芸能を享受したり、
巧拙を論じたりそれについての美学を構築するような
迂回的な作業を通じてしか、
この働き人に報いる方法を知らないのである。

Texts by 内田樹『「存在しないもの」との折り合いのつけ方について』

マタイ受難曲_第47番
『憐れみ給え、わが神よ』

” Erbarme dich, mein Gott ” by Bach

【Feb_23】全国民が平和と秩序と規律の回復に努めねばならぬ。


全国民が平和と秩序と規律の回復に努めねばならぬ。

我々が恐れる唯一の危険の敵は、
パニックが起きる事である。

パニックは伝染しやすく、
常識を持ってしては測れぬ様相を示す事である。

“秩序とそして組織である”。

国民諸君、このほかに道はない。
秩序だ。秩序を守って混乱を防ぐのだ。

国民諸君に心からお願いする。
何が起ころうとも勇気を持って、
理性に従って行動しなけばならぬ。

ミサイルの基地のどれかが、
おそらくは、我々に悲劇的終末をもたらす。

通信はもはや保証されていない。
国民諸君、何が重要であるかは既に話した。

動いてはならぬ。

全欧州に安全な土地は、
我々がいる所ほか、他にはどこにもない。

そのため我々全員が同じ状況のもとにおかれている。

すべての地区に軍の特殊部隊が配置され、
その指揮を受ける。

それ故に・・・(テレビの中継が切れる)

Texts by A.Tarkovsky ‘The Sacrifice”

マタイ受難曲_第47番
『憐れみ給え、わが神よ』

” Erbarme dich, mein Gott ” by Bach

【Feb_23】我々は未開人と同じだ。


人間は絶えず自分を守ってきた。
他の人間から、自然から。

絶えず自然を破壊し、
そして文明が、権力、抑圧、恐怖、
征服の上に築かれた。

我々の技術は進歩したが、
我々が得られたものは型にはまった満足と、
権力維持の兵器だ。
  
我々は未開人と同じだ。

顕微鏡を兵器に使う。
いや未開人には我々より魂がある。

我々は科学的発見があると、すぐに悪用する。
罪悪とは不必要な物の事だ。

ある賢人がいった。

それが真実だったら、
文明は最悪の上に築かれている。

そして恐るべき不調和が生まれた。
物質的進歩と精神的進歩が調和を欠いている。

我々の文化は病んでいる。
根本から間違っているのだよ。

問題を探求、解決策を探ればと言うが、
時機を失っている。

もう遅い!口にするのさえ空しい
言葉、言葉、言葉!ハムレットの心境だ。

なぜ私はこんなことをいう!
もの をいうのをやめて何かをなすべきだ。試みるのだ。

Texts by A.Tarkovsky ‘The Sacrifice”

マタイ受難曲_第47番
『憐れみ給え、わが神よ』

” Erbarme dich, mein Gott ” by Bach