Sudden-death


金曜日の夜に、愛用のMacが、突然、立ち上がらなくなった。
見事な突然死だ。

今まで取り込んできた写真データも
仕事のデータも、メールのアカウントも、
すべてがふっとんだ。

こんな不条理があっていいのか・・・・。

コンピュータ社会にどっぷり漬かっていた証拠。
元々カタチのないもの・・・と高をくくってしまえば
案外、すんなりと事は進むものかもしれない。

しかし、周りはそれをゆるさない。

メールがバンバン入ってくる。
催促の電話や進捗を伺う電話がかかってくる。

サイバー社会にしっかり組み込まれ、
対応ができなければ、たちまちサイバー不具者扱いである。

こちらも途方に暮れてしまう。

ひたすらMacの復活を願うしかない。
しかし、ゼロからの再構築は根気のいる作業。
今から、ゲッソリ。

・・・・・。

写真は、大阪の地下鉄淀屋橋駅。
あまりにサイバーなデザインにびっくり。
ヨーロッパを彷彿とさせる空間である。

しばらくblogの更新はできないかもしれない。

雨の金閣寺


そのとき金閣が現れたのである。

雨の京都で訪れた金閣寺は
予想以上の存在感で、
霞む視界に金色の輝きを湛えていた。

25年ぶりに見る金閣。

息を呑んだ。

それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかり、
はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、
私をかこむ世界の隅々までも埋め、
この世界の寸法をきっちり満たすものになった。

巨大な音楽のように世界を充たし、
その音楽だけでもって、
世界の意味を充足するものになった。

時にはあれほど私を疎外し、
私の外に屹立しているように思われた金閣が、
今完全に私を包み、その構造の内部に私の位置を許していた。

…そのままだ。

溝口の心をわしづかみにし、
その美しさゆえに現実とのはざまに常に介在した
あの金閣が、そのままの姿で、そこに、在った。

…これは現実なのか。

世界を変えるのは、行為ではなく認識だと
溝口は炎燦めく金閣を眺めながら、想った。

…その存在を眼前にしながら、私もまた、
私自身を内包する世界の再認識を迫られている…と想った。

職安通りから百人町へ


江戸時代は百人鉄砲隊という護衛の武士がいたから、
百人町と呼ばれるようになった大久保周辺は、
職安通りから流れてくると、地名とは裏腹に人影もまばらな
独特の雰囲気をもった地域だ。

歴史をしょったひなびたホテルや、
連れ込み宿を地で行くようなラブホテルがあり、
ハングル文字の看板まで眼にすると、
見事にアジアな情感を帯びてくる。

高層街西新宿から見ると、
歌舞伎町から大久保に至るまでのエリアは
まるで地を這うような湿地帯だ。

都庁舎がそびえ立つ新宿の、
その長い影がここ大久保まで伸びている。
陰部はどこまでも深く、計り知れない。

湯気に湿った街、大久保


今回泊まったホテルは大久保の飛鳥ホテル。
絶妙なネーミングと外観にあらぬ期待を込めて
チェックインしてみると…。

そこはなんとも淫靡な雰囲気を湛えていて
地階に滾々と沸き立つラドン温泉を備えた
誠に珍しいビジネスホテルだった。

ルームキーもお好きな暗証番号をご登録…と。
フロントも地階にあって、1階はまさに無人。

…これってなんでもありってこと?と穿ってみると
周辺には韓国人経営のアカこすりの店が並んでいたり…と
なるほど、ホテル周辺も湯気の湿りを帯びた感じである。

さすが大久保と唸らずにはいられなかった。

宇都宮…朝の出勤風景


朝の7時半。
JR宇都宮駅に降り立つビジネスマン、学生を待ち受ける。

太陽がしっかりと光を放ち、
休日明けの萎えた気持ちを奮い立たす。

それでも学生は、心ここにナシ。

皆一様に寝ぼけ眼にだらしなく集団で歩く。
宇都宮の女子校だろうか…バスを待つ集団。

紺色の制服が、さらにどんより紺色を増して
朝の風景に重たく鎮座している。

「ニンニクたっぷりの餃子を朝から食べてこい!」

ひとりごちた息がニンニク臭かった。

新幹線で宇都宮へ


沖縄から東京、そして宇都宮へ…。
空港から新幹線へと乗り継いでの出張はめずらしい。

仕事で新幹線に乗るのも、10年ぶりか。

東京、上野、大宮、宇都宮…。
車窓は街中から冬の色あせた風景へ。

宇都宮はかつて、ぬいぐるみ工場が多くあったという。
今では、需要が中国に流れ、職人さんも老いてしまい、
ひと頃の活気もなくなってしまった。

そんなかつてのぬいぐるみ工場に足を運び、
オーダーした着ぐるみの進捗を確認するのが、今回の仕事。

神楽坂本多横丁


気を取り直して、神楽坂へ。
飯田橋から坂を上がる。

天気のせいもあって
人々で賑わっている。

和服姿で昼食をとる女性達。
老舗の軒先に並んで、席の順を待つ夫婦。
江戸情緒を堪能すべく、料亭を訪ねる外人家族。

ふと思って、横丁に曲がってみる。

賑わいは遠のき、往来の人はまばらになる。
静かな佇まいに…逆光の演出。

…記憶のフラッシュバックに襲われた。

マクドナルド永田町店


土曜の朝に、国会議事堂に向かう。
やはり国の機関だけあって、ガードが厳しい。

腹ごしらえをしてから挑むことにする。
マクドナルド永田町店で朝マック。

差し込む朝日が、店内を温める。
タバコの匂いが足下から這い上がってくる。
穢れた空気の対流。ファーストフードの味。

警棒を持って交差点に立つ警官が
あちこちに居るのが見える。

……。

すでに撮る気を失った自分がいた。

身体的に撮るということ


土曜の夜に、ライブを観た。
女性ボーカルがアコースティックギターをバックに唄う。
150名ほどの聴衆が静かに見守る中、カラダ全体を共鳴させて
身体的な詩をメロディに乗せて、唄っていた。

見事に聴き惚れてしまった。

2オクターブの音域を巧みに揺らし、
時には強く、時にはささやくように
カラダが反応するまま、声を剥き出しにしていた。

音楽は、やはり身体の叫びだ。

写真はどうだろう?

身体の赴くまま、感覚的に対象を捉えているのだろうか?
そして、その感情が、そのまま剥き出しに定着しているのだろうか?
写真を撮るということも、音楽と同じく
生理に真っ向反応して、しかるべきなのだ。

身体的に撮ろうと、思った。

「あぼっけ」という名のギャラリー


ちょうど10日前に、水戸のはずれにある
木葉下(あぼっけ)と呼ばれる地名のギャラリーに赴いた。

沖縄との温度差15度。日本の四季を体感する。

友人山田圭一の作品を夕景、朝焼けの中で撮影する。
このギャラリーのある浅房山は、産業廃棄物のゴミ溜めとなっている。
山田はそれらの廃棄物を女子高生の巨大なケータイストラップに見立て、
入山口に吊していた。

ゴールドにペイントされ夕日に輝く廃棄物。
その美しさが人間の偽善を見事に表現していた。

展覧会の情報はこちら。会期はすでに終了している。
http://www.ne.jp/asahi/yosshi/kazu/beyond.html