26年前の趣旨はなんだったのだろう?


名護の「21世紀の森」に行ってきた。
人工ビーチである。
なんだか、前よりも人工化が進んでいるような気がする。
新たに持ち込まれたのだろうか、白い砂がこんもりとした山を作っていた。

名護市はどんどん都市化(近代化?)が進んでいるのだろうか?
名護市民はどんな未来図を、この土地に描いているのだろう。

普天間基地の辺野古沖移転も、先行きが心配な問題である。
写真は3月に那覇の国際通りで見かけた、基地移設反対のデモ行進の一コマだ。

自然との共生が今後どうなるのか、名護市の未来を憂いながらも、
素敵な回答を体現した建築物が、この地にあることを…思い出した。

「21世紀の森」の向かい、象設計集団の建築した「名護市庁舎」がそれである。
 ⇒「21世紀の森」の第一次設計計画も象設計集団の大竹康市によるものだ。

この「名護市庁舎」は日本建築学会賞を受賞している。
今は亡き建築家の大竹康市が、「開かれた市庁舎」のコンセプトのもと、
沖縄の風土にあった建築として、「開放的」で「親しみやすい」空間をめざした結果、
「風のミチ」や「外皮」の工夫が採られ、冷房設備の要らない調和のとれた建築となった。

1980年だから、26年も前の話である。

「名護市庁舎設計競技の趣旨」として、当時の名護市長はこう記している。

沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも特異な自然環境に置かれている地域である。
古来、人々はこの自然に生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、
地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。
(中略)
市庁舎の建設にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見据え、
それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかった問題があろう。
(中略)
主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に把え返し、
地域の自治を建築のなかに表現し、外に向かって「沖縄」を表明しうる
建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。

…気概をもった趣旨だと思う。

目の前に拡がる入り江を見ながら考える。

これだけの埋立を敢行して、外に向かって「沖縄」を表明しうるのだろうか?
さらには辺野古に2つもの滑走路を構築して、「沖縄」を語れるのだろうか?

…はなはだ疑問である。

名護 21世紀の森

日本で一番早い花火大会


 …といった触れ込みだけで、
 この4月15日に「海炎祭」なる大きな花火大会が開かれた。

 ボクたちは、友人宅のマンションから見える夜景を拝借して、
 このスペクタクルを、ビール片手に眺めた。

 夕方まで小雨が続いたおかげで、空にはまだ雲が残っていた。
 花火が上がるたびに光が雲に反射して、夜空はまだらになった。
 大輪の華が広がると、空一面が白くなった。

 んん…。
 
 4月の夜風は、ベランダで受け止めるには、涼しすぎた。
 花火の持つ「風情」を求めたボクがまちがっていた。

 fireworks。

 音楽と花火をシンクロさせたエンターテイメントに
 ドラマはなかった。 
 まさに「火のお仕事」だった。

サン・アグスチン教会内部


2階から教会を捉える。
バロック様式の荘厳さが、
とてつもない重圧となって
信者に降り注がれる。

宗教空間。

亜細亜一と言われるパイプオルガンから
ポリフォニックな旋律が流れ、
もっとも神に近づけ得る場所となる。

沖縄の空はいつまでも雲に覆われていた。


この週末、沖縄の空はずっと雲に覆われていた。
どんよりとした光が漂い、時には雨を伴った。

バンド仲間の10年来の友人が、突然この世を去った。まだ20代だった…と言う。

いたたまれなかった。
練習中に顔を合わす程度で、直接言葉を交わしたことはなかったが、
同じ空間に存在していた人物の、突然の訃報。

つい最近まで、そこに居た。
元気に笑っていた。
なんの前触れもなかった。

まさに運命のいたずら…としか、言いようがない。

この土日は、だからずっと「死」について考えていた。
暗がりの中で、「不在」を想うと身が凍った。
sudden-death…。
突然いなくなる事実。

自分もこうして、いずれいなくなる。

暴力的な喪失感だけを残して、
ここではない、どこかに逝く。

ピリオドは穿たれ、
人々の記憶の襞に、深く深く刻まれる。
「死」は何も語らない…奪い去るだけだ。

…そして、時間だけが、緩慢なく、流れていく。

立ち止まることすら、ゆるされていない。
すべての動きを完全停止させ、
哀しみに身を預けることすら、できない。

生きていることの不思議を想う。
そして、死ぬることの非情を嘆く。

ビックバンで拡がる宇宙空間の、銀河系の、太陽系の、地球の、
日本の現在に、「生」を授かり、「死」を引き受ける個々の人生を想う。
それは、ただ、ただ、はかない…つかのまの時間なのだろうか。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

宮沢賢治の詩がふと、よみがえる。
交流し、明滅する、ひとつの青い照明…。

…救われた気がした。
穿たれ、刻まれたピリオドが、
再びせはしく明滅する時を待とう…そう思った。

猫も杓子もリスも


本日、局入れが終了した。
オキナワローカルの春キャン告知TVCM。

新しい音楽ケータイのサービスが始まるの受けて、
気持ちよい春の日差しの中、思わず口ずさんでしまいました…
とばかりに、女の子がアカペラでキャンディーズの「春一番」を歌う。

すれ違う男の子も、「恋をしてみませんか?」のフレーズにドキリ。
それって、「オレ?」と急ブレーキをかけて、振り返る…そんな設定だ。

しかし、オキナワにおける春の雰囲気って、見あたるはずもなく、
おまけに海風がびゅーびゅー通り過ぎるようなシチュエーション。
仕方ないから、作りました。
かわいらしい白い花を配置して、白砂を撒いて、土手を再現。
そこを行き交う男女の設定に、無理矢理作りました。

オキナワでは有り得ない情景だけど、春の原風景が展開され、
オキナワの人たちにも、春の気持ちよさが伝われば…大成功。

実際の撮影は、極寒そのもので、
ボクは見事に風邪を引いてしまったわけだけど。

オンエアは19日から。

ONE LIFE


この世界には理解の及ばない大きな「何か」があって
そういった大きな流れの中で生きている…と、前回書いたが、
その「何か」は「そうだ、宇宙だった。」…と、ひとりごちた。

「風の旅人」というスケールの大きな隔月刊誌がある。
その編集長、佐伯剛さんの巻末の言葉を読んで、納得した。

親鸞が説く「南無阿弥陀仏」を、宇宙的スタンスで捉えると
その言葉が非常に生き生きと感じられてくる。

小さな「自分」を超えた、大きな存在がある。
人と人との関わりの中に「自分」の存在はある。
自立より、他力でこそ、見えてくるものがある…と。

それは、つまり、宇宙に他ならない。

       宇宙に存在するすべてのモノは、個々が互いに影響を受け合いながら、
       誕生から成長と、衰退から解体を繰り返し、生々流転を続けている。

ONE LIFEだ。

森羅万象すべてのモノは、この大きなひとつの生に収斂され、
互い同士が細かな血管でつなぎ止められた存在なのだ。

佐伯編集長は、さらに理知に富んだ言葉を紡ぐ。

       人間が人間として生きはじめた時、従来の生物に比べて認識力が
       飛躍的に高まったとされる。そのことによって、自分が生きる世界の
       多くを知ることになった。多くを知れば知るほど、世界がミクロから
       マクロまで様々な領域に分断されて感じられ、寄る辺のない不安に
       晒されることになっただろうと想像できる。

人間の認識力の目覚めが、知恵の及ばない「何か」の存在を気づかせ、
不可解な「何か」を理解の裡に納めようと、さらなる探求心で世界の手の内を暴こうとする。
その原動力は、まさに「不知」の不安である。「知らない」ことへの不安だ。

       その不安を克服するために、世界から目をそらそうとした者もいただろうし、
       混沌の世界を秩序あるものとして掌握しようとする意志を持ち、苛酷な困難のなかで
       心身を深く傷つけ、痛切なまでの負荷に耐え忍びながら解決の糸口を探ろうとした
       者もいたのではないか。儀式や、神話や、芸術は、その痛みの裂け目から
       噴き出るように生じたのではないか。

自分の裡に「宇宙」の存在を感じ、100億光年彼方の銀河も地球上の生物も、
すべてが互いに影響を受け合いながら、混沌と「かたち」を繰り返し、
大きな流れの中で編み目のように連なって、生々流転を続けていると考えれば、
自分自身の「生」の尊さもひときわ際だってくるのではないか。

       この宇宙のなかで自分の心身に呼応するものは、
       ポジティブなものもネガティブなものも、一つの生が脈打つ
       無限の連なりのなかにある。自分自身を含めて、一つの生のなかに
       あるものは、無理矢理に排除することはできない。

つまり「因縁」である。
自分の存在は編み目の連なりのひとつであって、周りとの関係性のなかで存在している。
そのことを排除し、否定することはできないのだから、ここはひとつ、任せてみよう…と
説くのが「南無阿弥陀仏」の説法だ。

さらに、ここで「深い!」と唸らせたのが、
自分の存在を任せきる…そんな大きな心持ちになるには、
自分自身をみつめることだ…という逆説だが、
編集長の言葉はさらに続く。

       排除するのではなく、自分とどう関係しているのかを
       自分の感受できる範囲で知りたいと願い、あがき、考え続ける。
       そうした疼きのような負荷に堪え忍ぶことでしか、
       人間の新しい意識と現実は生まれてこないだろう。

説法どおりだ。
大きな流れの編み目の連なりであることを、その関係性を理解し、
自分のポジションを理解することで体得しなければ、流転の明日は来ないのだ。

日頃の生活に、常に「宇宙」を感じてみようと思う。

オキナワの結婚式


人と人との縁を形にした宴が、まさに結婚式。
この2月4日、何年ぶりかでオキナワの結婚式に出席する幸せに与かった。

総勢300人はくだらないだろう、人と人とのつながりで集まった人たち。
それぞれが、それぞれの思いで、ふたりの結実を祝福している。

3時間半にも及ぶ祝いの宴は、そこに居るだけで幸せな心持ちになった。

お互いの系譜が長い年月をかけて、巡り合い、関わり、結実する。
まさに「因縁」以上の言葉では説明がつかない関係性の成立だ。

宴の締めくくりはカチャーシー。舞台では、あらゆる縁が巴のように絡み合い、
祝福の舞で、主役のふたりのこれからを素直に喜び、称賛している。

1年前のちょうど今頃、自分もその祝福の輪の中心にいたんだ…と考えると、目頭が熱くなった。

長浜大樹くん、愛実さん、ご結婚おめでとう。いつまでもお幸せに。

もうすぐ春ですね、恋をしてみませんか。


本日、オーディションを行った。
TVCMの重要な役どころである女の子の選出だ。
春商戦のキャンペーンとして、
キャンディーズの「春一番」をアカペラで歌ってもらう。
♪恋をしてみませんか?と歌ったところで、
気になる異性とすれ違い、はにかむ感じを演技してもらった。

14歳から21歳の5人の女性が
殺風景な会議室に集合した。

背広を着たむさ苦しいサラリーマンと対峙して
彼女たちは、何を感じていたのだろう。

自分をアピールすることで精一杯…といった感じだろうか?
こんなときは相手を道ばたの石ころだと蔑んで見てもらった方が
いい演技ができる。

変に媚びようと欲を出してしまったら、緊張してしまうのだ。

監督とボクは、オキナワ版宮崎あおいを期待していた。
その場にいるだけで、空気を変えてしまう娘。
どんな理屈もいらない。その存在が、すべてだ。

5人の女性は、ほとんどがCM未経験者。素人と言っていいだろう。

カチコチの自己紹介を終え、それぞれが演技をする出番となった。

…いきなり一人目から、…来た。
………………………………驚いた。

その場の空気を変えるとは、こういう娘のことを言うのだ。
そんな逸材だった。
つまりは、自分の世界をしっかり持っているから、空気が変わるのだろう。
想像力のタマモノ。

春の気持ちよい朝、「春一番」を口ずさみたくなって、
大声で歌っていたら、気になる異性とすれ違った…。
…そんなシチュエーションが、彼女の頭の中で再現されたから、
その場に居合わせた、むさいサラリーマンも共演者になってしまったのだろう。

異性の背中を追いかけようと…、
…振り向いた、その横顔を、春一番が駆けめぐっていった。

彼女たちのコンポジットには
それぞれの身長とスリーサイズが記されている。

たった3センチ、4センチの違い。

メジャーで測れば、それだけの違いでしかない彼女たちの差異は、
空気を共有することで、とてつもない差となって顕れる。

ほんの5分。

それだけの共有で、完全に彼女の世界に引き込まれている自分がいる。

人間存在の不思議を想った。

Keep on Rolling!


本日より、なんとか再開。
想定通り、Macの全データは跡形もなく消失。
アプリケーションからATOKまで
インストールし、できるだけ前回の環境に
近づけようとするも、なにかが違う。

苦しみもがきながらの再スタートとなる。

先週土曜日で
「はじまりの一枚」展も終了し、
完全な独り立ちをすることに。

まずは、徐々に、徐々に、
今までのフィルムを再度確認し、
データ化することを進行。

と同時に、できる限りシャッターを切る習慣付け。

50年代の二眼レフ、Rolleiflexを購入予定。
写真のトーンもスタイルも少しずつ変化するかも。

Keep on Rolling!2006年をこうご期待!

Sudden-death その2


ライブドアショック。
この一週間の陥落は、まさに霹靂の思いだろう。
堀江貴文も犯罪者扱いとなってしまった。

彼の右腕とされていた人物が
ここ沖縄で自殺をしている。

なぜ、沖縄で?

しかもチェックインしたホテルは
国際通りの外れにある
寂れたカプセルホテル。

ビジネスホテルの乱立で
ここ沖縄でのカプセルホテルの需要は極めて低い。
おそらく那覇市内では、ここだけかもしれない。

偽名を使い、寂れたカプセルホテルに入り、自殺を諮る。
なんとも背筋の凍る思いである。
・・・彼をそこまで追いつめたのはなんだったのだろう。

昨日の夜中、テレビ番組で劇団四季のドキュメントを観た。
大日本帝国のBC級戦犯を扱った演劇「南十字星」の話だ。

フィリピンやインドネシアなど
アジア各国で侵略を進めた日本軍の現場指揮官が、
敗戦ののち、軍事裁判で即刻死刑を言い渡される。

誰かが背負わなければ、前に進まない状況とは言え、
突然、絞首刑を言い渡された軍人たちの焦燥感は計り知れない。

国を呪い、その不遇を嘆いたことだろう。

それでも彼らは日本の未来を思い、
復讐心を捨て、その運命を受け入れようとする。

胸が熱くなった。

それぞれのSudden-death。
ひとつの命が断たれることのエネルギー。
その因果は違えど、断たれた事実は変わらない。

メメント・モリ。

・・・「死を想え」。

命はどこまでも尊い。