【永岡大輔】無意味の背中 その1


いつからだろう。
気がつくと「ムイミ」と言う巨大な生き物の背中に、私は乗っていた。

黒色のムイミの背中は、美しい満天の星空のようだ。目を凝らしてみると、
湿気を含み光沢のある黒い小さな粒がキラキラと集まってこの生き物を造り上げている。

刹那、ムイミの背中の中に右手を入れてみる。
もちろん興味本位。
期待に反して、ムイミの内部は何の感触もない。
温度もない。
そしてゆっくり手を引き抜く。

もう手が出てきても良いはずなのに、右手が見えない。
いや、手がない。
痛みがないから解らなかったが、手首から先が消えている。

今度はもう少し深く、腕まで入れる。

まだムイミの体内のすぐそこに落としたかもしれない私の手を取り戻す為に咄嗟にした行為だ。

だが、またやはり何の感触もなく、消えた手の存在もない。
それどころか、今度は深く入れた腕までが消えてしまう。
痛みがないと言う事は、こんなにも事態を飲み込めなくするものか。
消えた腕を見つつも、悶絶するうめき声すら必要としない。

どうやら、ムイミの内部に浸したものは、消えてしまうらしい。
冷酷な喪失感がゆっくりと私を襲い始めた。

遠くを行く人の姿を見付ける。
助けを求めるため、私は手を振った。
その人も手を振りかえす。

はたと、自分の混乱ぶりに気がつく。

今失ったはずの右腕を、いつもの習慣で私は振っていたのだ。
正確には振った気になっていたのだ。
そもそも痛みすらないこの喪失を、すぐに認識するなんて不可能だ。
改めて、私は残っている左腕で手を振った。
両手で手を振りかえす人。

すると、にわかに左手に何かが当たる。

同時に失ったはずの右手にも何かがぶつかる感触。
顔を見上げれば、私の右手は左手に触れていた。
いつも通りの私の右手だ。

私はムイミの背中から、どうしたのか解らないが、右手を取り戻したのだ。

相変わらず私は今もムイミの背中に乗っている。

神楽坂【artdish】永岡大輔個展「無意味の背中」

【富田俊明】Heart Mountain その2


 「私はもう現実をうまく定義できない」
  物事について考えを固めてしまわず、
  見えているものを疑うよう心を開いておけば、
  世界を眺める目も丁寧になる。そうした注意深さから、
  今まで誰も見たことのない何かが見えてくる可能性も出てくる。

  自分が何もかも答えを持っているわけではないと認めることが肝要なのだ。
      (National Story Project/Paul Auster)

      ●

富田氏とソーレン君の絵をめぐる4つのストーリーは円環を成している。
相補関係と言ったほうがわかりやすいだろうか。

肝心のソーレン君の絵がないと、伝わらないことだらけなんだけど、
富田氏の未来がその絵には描かれていた…と言えばいいだろうか。

異国の地ではじめて出会った高校生が
自分の話にインスピレーションを受けて絵を描き、
その絵のモチーフから5年後の自分がカタルシスを得る。

「偶然」で片づけてしまえば、それで終わってしまう話だし、
絵の解釈なんて意のままなのだから、都合良く話をまとめることも出来るだろう。

  しかし、そうやって割り切ってしまって良いのだろうか?

アメリカの敬愛する作家Paul Austerの言葉を引用したが、
世の中には自分の智見の至らない事象のほうが断然多いのだ。

      ●

会社勤めを斥き、社会との関わりを斜に構えるようになって、
ボクはずいぶんと、人智を超えた事象に惹かれるようになった。

荷風の足取りを辿り旧玉ノ井を散策し、押上のスカイタワーを遠くに見ながら、
路地に漂う明治大正の面影を感じ、その空気を収めようとシャッターを切る。

そんな行為を繰り返していると、堆積した時間が
「あわい」となって光と陰の稜線から立ち上がってくる。

      空気を撮る…。

「写真」という表現媒体を操るには
時にシャーマンのような第六感が必要ではないか…
近頃はそんなことも思うようになった。

      ●

富田氏と2時間ほど空間を共にして思ったことは、

経済至上主義一辺倒のこの現代ではあるけれども、
そこからこぼれる様々な事象を、
しっかり掴んで呈示する役目もあるのだ…ということ。

「言葉にならない」了見や現象、
「割り切れない」出来事や「筋の通らない」話、
「理屈じゃない」思いや「役に立たない」知識など、

自分が何もかも答えを持っているわけではない…という事実を踏まえ、
真摯に丁寧に世界をつかまえることが、ボクには必要じゃないか…と思った。

そして、ボクの廻りには同じニオイをしたひとびとが集まってくる…。
この共振が、なによりうれしい。

     

【富田俊明】Heart Mountain その1


1月17日。日曜日。
阪神・淡路大震災から15年。

カリブ海ジャマイカの隣国ハイチは
20万人の死者が出る大震災。

地球が明らかに変貌しつつある。これは予兆。

      ●

ビル清掃をとりあえず一週間務めた週末の金曜日、
南青山のspicaARTで開かれていた富田俊明氏の個展におじゃまする。

昨年11月の「トロールの森」で知り合ったアーティストだ。

オープンと同時にギャラリーへ。
金曜日のお昼だ。まだ誰も来やしない。
作品と対峙して、たっぷりと作家の言葉を拝聴する。

      ●

言葉にして伝えるのは、非常にむずかしい。
2001年から2008年の間に起きた富田氏をめぐる4つのストーリーが、
この「Heart Mountain」を成立させているからだ。

1つは、2001年のコペンハーゲンで富田氏が現地の高校生に向けて語った、山で体験した不思議な話。(1st Story)
1つは、その話を受けて現地の高校生ソーレン君が描いた「SHINE」と題された1枚の絵。(2nd Story)
1つは、2年後にその絵を受け取ってからの変遷と、2008年にソーレン君と再会した時に語られたその絵を巡る話。(3rd Story)
1つは、2008年にソーレン君に語られた富田氏のその絵を巡る話。(4th Story)

この個展は1枚の絵を軸に展開するストーリーを聴くことで、
何かを感じてもらう展覧会…と言ってもいい。
なにしろ展示物は、ソーレン君が描いた絵「SHINE」しかないのだから。
富田氏は、ギャラリーを借りて場を提供し、ストーリーを聴かせるホストのような存在。

果たして富田氏の、まことに個人的な出来事を咀嚼することで見えてくるコト…とは?