【Jun_01】東大電気


平田オリザ演劇展_vol.4

「忠臣蔵・OL編」を観る。
終演後のアフタートークで、忠臣蔵が近代的演劇として今も好まれている理由は、
「選択肢が委ねられている」からだと、平田氏。

通常の演劇は「シチュエーションがまずあり、その状況から逃げられない中で物語が始まる」のに対して、
忠臣蔵は「47人の藩士たちが討ち入りを選択するまでの葛藤がそのまま物語として成立している」。

この選択できる…という状況に、人間ドラマがあり、その右往左往の様相が共感を呼ぶのだ…と。
しかも、平田氏曰く、「平和ボケした赤穂浪士たちが、討ち入りという非現実的な選択をする時、
当人たちは、他でもない自分たちが運命を選択してしまったことを後悔する。」
その逼迫した非日常の中だからこそ、「選択しない」自分を最後まで選ぼうとする…その現実逃避が、
結果として押し流されるように47人の討ち入りとなってゆく意思決定の仕方に、
現代社会の「核心に触れないまま、重要なことが決まっていく…思考しない意思決定」を見る思いがする…との指摘に、
思わず膝を打って唸った。

この現代にも通じる「忠臣蔵」平田オリザ版に、是非とも触れて欲しい。
「OL編・ダブルキャスト」「武士編・オール男性バージョン」と今なら様々な演出が楽しめる。

【Mar_26】ヘッダ・ガブラー


劇団山の手事情社公演「ヘッダ・ガブラー
文化学院_講堂

山の手事情社・安田雅弘演出2度目の体験。
度肝抜かれる…。
シンプルな構成、シンプルな舞台装置、研ぎ澄まされたセリフ_。

   若い頃、確かに持っていた。しかしふと気がつくと
   指の隙間から滑り落ちるように無くなっているもの。
   今回の舞台美術や衣装は、そういう考えのもとに作業を進めた。
   年を取るのも忘れて、何百年も舞踏会を続けていた人々が、
   亡霊となって織り成す物語として【ヘッダ・ガブラー】を捉えなおした。
   かつてカタチを持っていたもの、カーテンや帽子や花束やグラスや本は、
   すでにボロボロになっている。かろうじて意思だけが残った人々が、
   通りかかった女性に「ヘッダ・ガブラー」の物語を、夢として見せるのである。

   亡霊たちの振る舞いは、一見空しく、ばかばかしい。
   しかし、それは取りも直さず、私たちの姿である。
   イプセンが亡くなって、百年強。
   翻って百年後、私たちも含め、私たちが手にするモノは、
   皆例外なく朽ち果てる。しかし、それゆえにこそ世界は美しいのだ…と、
   私には思えるのである。(ヘッダ・ガブラー解説_by_安田雅弘)

手に取るモノすべてがモクズと化した舞台で、役者たちは空疎にモクズをグラスに見立て、演ずる。

その振る舞いが、人間の喜怒哀楽の儚さ、空しさを浮き彫りにしていて、戦慄もの。
身震いがする…身の毛がよだつ…。なんという浅はかな存在なのか…!!

安田演出、クセになる面白さであり、奥深さ。
演劇人にはタマラナイ劇団であること、間違いナシ!
29日〔土)まで。