
「写真」という行為の特性を最も端的に言い表した言葉だと思う。
1996年5月19日の交通事故で作家生命を絶たれた岡崎京子さんの感性が素晴らしい。
そう、「写真」は対象を切り取ることで、刹那に遠ざける。
その客観性こそが「写真」であり、生きていることの不思議なのだ。以下コピペ。
↓↓↓
いいえ、写真が哀しいわけではなく、写真機という世にも薄情な機械が
かけがえのない人の姿をうつしとってしまうことができ、
しかもまたその「かけがえのなさ」を
見ず知らずの人にまで差し出してしまうことが、哀しいのかもしれない。
それとも人は誰でも死んでしまう
というあたりまえのことを、
このうえなく淡い感傷とともに
おもいださせてくれるから、
写真が哀しいのか。
いいえ、それは遠さと、きっと関係がある。
だって、写真にうつされてしまうと、
いま目の前にあるものでさえ
とても遠くなるから。
でも、ほんとうははじめから遠いのだ。
なにもかもが、あらかじめ、遠い。
わたしたちはそのことに気づかないか、
気づかないふりをしてるだけ。
ときどき写真はそれを顕す。
そんなときだ、写真をいとおしくも哀しくおもえるのは。
でも哀しい写真はとても少ない。
街のなかや雑誌のなかでみかけるたくさんの写真はむしろ、ばかばかしい。
そのばかばかしいところがよけいに哀しいとおもうほど、わたしは老成していない。
ばかばかしいものは、ただひたすらばかばかしい。
(岡崎京子による荒木経惟論 「東京に初雪がふった日に」/『荒木経惟写真全集 3 陽子』 平凡社)
#photobybozzo