
建築は思想の物化だとハンナ・アレントは言った。
物体化した思想が反射し、人間の思考領域が形作られるとすれば、
梵寿綱が言うところの「日常と非日常の相補的枠組み」を往還することで、
生命活動もより深遠さを増してくると言えまいか。
現代社会を縁取るあらゆる事象がますます予定調和に萎縮すれば、
おのずと生命活動も萎縮することは必然なのである。
梵寿綱の建築物は、そのことを静かに表出している。
以下、梵寿綱のアートコンプレックス定義。
我々にとって生活の便宜でしかない筈の社会システムによって、
我々の日常生活は予め与えられた役割を果たす為に
制御され、階級付けされ、義務づけられています。
社会的、経済的、政治的構造の中で我々全員が抑圧され、
不安定な存在として精神的にも感情的にも阻害されています。
人間の特質の一つは自我の目覚めです。
しかし、自我は他者や状況との関連の中で
一時的に位置づけられるもので本質的なモノではありません。
我々自身安定を得るには、日常の生活環境への帰属の意味を問いただすか
超越的な存在を心の中に作り上げて、我々自身の生活の中に確からしさを追求しなければなりません。
しかしながら、我々の宿命的な命について考えてみると、
昔も今もやがて死を迎える身体に囚われている囚人でありそれでも尚、
一人ひとり生き、それぞれの夢を追い続けています。
この事実に文化的伝承の存在意味が由来しています。
表層と深層、意識と潜在意識、存在と超越、現実性と超現実性、此岸と彼岸など
これらは相対立するのではなくて、全体を相補的に働いているのです。
(羽深隆雄&梵寿綱共著『生命の讃歌』より)