【牛腸茂雄】Self and Others


釈然としないまま、散髪を終え、
そのままプールへと向かう。

旅の疲れを全身に巡らせるべく
水の中で筋肉を弛緩させる。

慣性にまかせて1キロを泳ぐ中、
アタマの中だけは、
名古屋で感じたものを言葉にしようと
ぐるぐる回転していた。

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牛腸茂雄のSelf and Othersの
窓辺に佇む少女の写真が、突然想起される。

牛腸茂雄の写真がなぜ、
あれほどまで胸に迫るのか。

2005年の大森克己ワークショップで
自分がなぜ、フィリピンで撮影した妻の写真を
はじまりの1枚にしたのか。

村上春樹の処女小説「風の歌を聴け」の中で
ラジオNEBのDJが涙を流しながら、
なぜ「僕は・君たちが・好きだ」と語りかけたのか。

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それらの断片が、ふわふわとつながって
木村さんの思いが、言葉になった。

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そこには「共生」という言葉があった。

ボクはこの10年間、木村さんと時間を共に、
…生・き・て・い・た。…そうだった。

だからこそ、転機の思いをしっかり伝えたいと思った。

木村さんの家族から語られる木村さんの思い出に
うなづく木村さんが想起されたのも、
そこに木村さんが息づいていたからだ。

牛腸茂雄の写真には、牛腸自身の「生」が投影されていた。
そこに共鳴するから、胸に迫るのだ…と
はじめて彼の写真を意識的に言葉にすることができた。

「はじまりの1枚」が秀作なのは、
共生するふたりの時間がしっかり焼き付けられているから
…だと、解釈できたのも、「共生」というワードが出てきたからだ。

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漠としていた写真の思いが、カタチになった瞬間だった。

ボクが撮らなければいけないのは、「共生」の時間だった。
共に生きている同時代の人間の「生」を写真に焼き付ける。
自己投影ではなく、自身を媒介にして、写真に定着させる。

それが、ボクのやりたい写真のカタチだった。

なぜ他者を撮りたい…という思いを前に
自分が怖じ気づいていたのか、それも合点した。

他者の「生」を受け止めるほど、
自己の足元が安定していなかったからだ。

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今、こうやって身辺を整理しながら
これからの人生を考えると、
やっと自分が目指すべき表現に辿り着けたような気がした。

「死」への漠とした不安に内省するのではなく、
共生し溌剌としている「生」をみつめ、写真に定着することで、
同時代の空気が表現され、共鳴を生む。…そうなのだ。
そんなこともわからないで、何を表現しようとしていたのだろう。

あらためて牛腸茂雄の写真を眺める。
 ……涙が、…出た。
彼(Self)の「生」が、他者(Others)にしっかり定着していた。
 …感動した。…これだと、思った。