
…先週の今頃は、
救急病院の簡易ベッドの柵の中で身動きも取れない状態だった…のだなあと
この一週間の激動を振り返ってみる。
毎夜の大浴場通いが功を奏して、なんとか痛みも薄れ、前屈も曲がるようになった。
ボクの人生の中では、肉体的にかなり苦しい部類に入る経験だった。
カラダ全体に痛みが伴う経験は、幸いなことにそう多くはない。
虫垂炎で下腹部を切り裂いた時の割腹するのでは!…と感じた激痛や、
交通事故でしたたか首をむち打った時の鈍痛もひどいもんだったが、
動くたびに俎上の活魚のごとく身をそらし、さらなる痛みを引き起こすような今回の痛みは、
カラダの要である「腰」だけあって、身の自由を根こそぎ刈り取る威力があった。
あれから、一週間。
どん底の無気力からは想像もつかない恢復力を漲らせて、
よくぞここまで…と自分の生命力に感謝する。
そして、久々にJazzに耳を傾ける。
こうやって音楽に浸ってみると、あらためてそのすばらしさに愕くばかりだ。
実はこの一週間、音自体に活路を見出せなかった。
音楽は怖ろしいほど、生命力に満ちあふれている…そう感じたからだ。
元気な音の束を受け止めるには、それなりの体力が必要だ。
たとえ「葬送行進曲」のようなタナトスに溢れたものであっても、
そこには「いのちのいぶき」が充溢している。
死ぬ間際まで音楽は切り離せない…そんな思いではあったけど、
絶望の淵では、音楽を受け入れる隙間すらなくなってしまうんだな…と
今回の経験で、悟った。