【Apr_09】不破大輔@東京湾ホエールズ


東京湾ホエールズ『八丁堀キャバレー』@WISE OWL HOSTELS

mizhen観劇で出会った夕海さんに誘われて東京湾ホエールズへ。
「八丁堀キャバレー」ってことで演者も客も混ざり合って飲めや歌えや踊れやの一体感。
このごにょごにょした懐かしい感じ、音楽と心拍が、収縮する膨張する同調する。
裏切られたり、虚つかれたり、誤魔化されたりの世の中だけど、
この渋サとの同期は、どこまでも真理だと思った。

#photobybozzo

【Apr_09】WISE OWL HOSTELS


東京湾ホエールズ『八丁堀キャバレー』@WISE OWL HOSTELS

mizhen観劇で出会った夕海さんに誘われて東京湾ホエールズへ。
「八丁堀キャバレー」ってことで演者も客も混ざり合って飲めや歌えや踊れやの一体感。
このごにょごにょした懐かしい感じ、音楽と心拍が、収縮する膨張する同調する。
裏切られたり、虚つかれたり、誤魔化されたりの世の中だけど、
この渋サとの同期は、どこまでも真理だと思った。

#photobybozzo

【Apr_04】危機の時代の太田省吾by西堂行人


〈論文〉危機の時代の太田省吾 by 西堂行人


「劇という表現が、他の表現と分かれるところは、そこに生きた人間がいるという直截的事実を前提とする表現だというところである。
 そこに人間がいるということは、生命存在、意識存在がいるということであり、要約のきかない面をもった者、概念化からはみ出す者、
 多義性をもった者が居るということである。」

    ↓↓↓

「ぜったいに欠かすことのできない精神状態は、能動的な役を実現するために、受動的な身構えである。
 『それをやろう』という状態ではなくて、『甘んじて身を引いた』状態である。」

    ↓↓↓

「〈伝達〉ではたしかに能動が力である。しかし、〈表現〉では必ずしもそうではない。
 むろん、ふつう力とは前の方向への力のことだ。しかし、良い表現に触れる時、
 わたしたちは、前の方への力とは違った力を感じないだろうか。(中略)
 〈表現〉に触れるとはこの力に触れることだ。とすると、〈伝達〉では能動の力だが、
 〈表現〉では受動が力だとは言えないだろうか。」

    ↓↓↓

そこで「なにもかもなくしてみる」である。
太田の演劇観は、次々と選択肢を捨てていく「引き算」の方法である。そこでどこまで捨てられるか。
太田ならば、宮澤賢治から、こういう言葉を引き出してくるのではないだろうか?
「人とはどういうことがしないでいられないだろう」か、と。
この問いの立て方を太田は、「なすべきーなすべきでない」という正ー反の選択を超えた問いだと言っている。
「なすべきか」が能動的な問いだとしたら、「しないでいられない」とは受動の問いである。
どこまでも後退していって、「やらなくていいことをやらない」を探っていく。
前傾姿勢にならず、どこまでも後ろに身を引き、どっしりと構えていく。

この受動性の構えの中に演劇的思考が宿っている。
演劇には強靱な思考の構造があるのだと太田は考えたのだろう。
それが〈3.11〉をも含む「災害」に対する、演劇側からの回答ではないだろうか?

     ●

【劇という表現は、そこに生きた人間がいるということ】という確固とした自信は、
〈実在〉という事の重さを、しかと受け止めているからだと、ボクは思う。
生命存在、いのちというものの重さを、真っ正面から捉えている人の言葉だ。

【金が欲しいのは金が欲しいからだ】という無目的で前のめりな経済活動に突き動かされている現代人には、
その〈実在〉の重さを受け止める度量がないのだと、思うのだ。
だから「なすべきか」の能動的行為が、「なさない」という受動的態度の上位に来てしまう。

己の〈実在〉が軽いから、遠心力でもって重力を味方に付けるべく、動き回る。

実はそうではなくて、引き算でもって「ただそこに居る」という受動の表現に気付くこと。
〈実在〉の重さをそれぞれが体感すること。このことが、今の日本には必要だ。

【舞踏】や【能】の表現のように。

写真はKUNIO14『水の駅』より。

#photobybozzo

【Apr_03】高尾ツリーダムカフェ


昨日は高尾ツリーダムカフェの作業でした。
一年前からほぼ人力によって築き上げられた建物。
土壁から焼き板の外壁まで全部手作業です。
今週末のお披露目に向けて、最後の追い上げ。

裏高尾の登山口で、高尾の自然のことを坂田さんと語らう日ももうすぐ。

【高尾ツリーダムカフェ 坂田昌子Talk&ラビラビLive
~未完成だけど、お披露目しちゃう!~】

■4月6日(土) 13:00開場 13:30~17:00

セルフビルドのツリーダムカフェについて。

#photobybozzo

【Apr_03】高尾ツリーダムカフェの土壁


昨日は高尾ツリーダムカフェの作業でした。
一年前からほぼ人力によって築き上げられた建物。
土壁から焼き板の外壁まで全部手作業です。
今週末のお披露目に向けて、最後の追い上げ。

裏高尾の登山口で、高尾の自然のことを坂田さんと語らう日ももうすぐ。

【高尾ツリーダムカフェ 坂田昌子Talk&ラビラビLive
~未完成だけど、お披露目しちゃう!~】

■4月6日(土) 13:00開場 13:30~17:00

セルフビルドのツリーダムカフェについて。

#photobybozzo

【Mar_30】沖縄アンダーグラウンドby藤井誠二


沖縄アンダーグラウンド×モトシンカカラヌー』上映&トーク@カフェ・ラバンデリア

1970年コザの貴重なドキュメンタリーを2時間みっちり観たあとの、藤井誠二さんの新著を巡ってのトーク。
米軍統治下の沖縄において、特飲街がいかに基地と密接な関係であったか、米兵による婦女暴行や犯罪が絶えず、
そのはけ口に半ば公認として米軍の衛生局指導の許、【性の防波堤】が据え置かれた事実。

“元金かからぬ”商売女の実態は、2010年の「沖縄浄化運動」までひた隠しにされていた。

藤井さんは端境の希有なタイミングでルポを敢行し、
「モトシンカカラヌー」から現在に至るまでの沖縄の売春事情をまとめた。

トークで平井玄さんが「50年代の米統治下の日本はどこもかしこも沖縄と同じ状況で、
“赤線地帯”は米兵のはけ口として設置された慰安所だった。ここ新宿二丁目も、当時は米兵相手の場所」と説明、
敗戦国日本の「悪習」に向き合わずして、今の隷属構造は語れないと悟った。

地上戦で壊滅し、それでも生き抜くことを強いられたウチナーンチュの逞しき生き様は、
嘉手苅林昌らが謡う民謡に顕れていて、路上で即興的に奏でられた島唄は、
コザの魂が込められたブルースだったのかぁ…と、
ナマ林助やナマ林昌、ナマ誠仁に触れ、パークアベニュー裏のデイゴホテルに泊した1998年の記憶がまざまざと甦り、
この虐げられた歴史が積もり積もっての普天間辺野古なのか…と沈思黙考。

沖縄アンダーグラウンド=陰の沖縄を、まだまだ洞察してゆかねばならない…と、林昌さんの歌声を聴く夜。

#photobybozzo

【on_Flickr】平体まひろ_ACTRESS_26


木曜日は平体まひろさんのプロフ撮影。
経年劣化するものに目がないってことで、
街全体がいい感じに劣化している工場地帯に。
目につくもの1つ1つに歓声を上げるまひろさん。

鄙びたモノを愛でてこそ、
生きる歓びにも気づかされるってもんよ。

ボクはそういう時間の蓄積を大事にしたいわ。

【on_Flickr】ACTRESS_26

#photobybozzo

【Mar_28】CINEMAdubMONKS@七針


CINEMAdubMONKS結成20周年LIVE「Trilogia」@八丁堀・七針

久々に映像付きのモンクスが観られると思い、
意気軒昂と七針に向かったのだけど、
ガンジーが不幸のため急遽岩国に戻ることとなり、
ダイホひとりのLIVEに。

ゲストにレコーディングエンジニアとして参加されていた森俊二さんを迎え、二部構成で。

20人ほどのキャパで少人数だったからか、終始ダイホもリラックス。
20年間刻んできた音の記憶を、目の前に散らかった楽器でひとつひとつ引っ張りだし、
レイヤーを重ねるように音楽を紡ぎ出していくスタイルは、
年月を重ねた分、巧みに調理され、思いも寄らぬ情感を呼び起こす。

多重露光の写真が、不確かな記憶のトリガーになるように。

CINEMAの謂われは、実はその「記憶」にあるのだなぁと改めて思った次第。
己の記憶に引きこもるような演奏者の姿は、老成してこそ様になる。
ダイホの立ち上げたレーベルが《Rojin》だったのも、そんなワケか…と、
様々な「記憶」に彩られた時間でした。

#photobybozzo