“奇跡の守護神”サン・アグスチン教会


イントラムロス内にあるサン・アグスチン教会へ。
1993年、フィリピン初の世界遺産に登録されたらしい。
前回イントラムロスに来た時にも立ち寄ったが、
大きな正門の木戸が閉ざされていたので、諦めた場所だ。

今回も閉ざされていたが、何のことはない。
隣接の博物館からつながっていた。

75php支払って、深閑とした暗がりへ。

そのスケールに、度肝を抜かれた。
400年の歴史が堆く積もった空気。
風にそよぐレースのカーテンにも、堆積した時間を感じる。

5mの天高はある回廊に出た。
ステンドグラスが光を演出し、時世を超えた空間が拡がる。
等間隔に並べられた木彫の像が、何かを語っている。

すばらしい。

スペイン領時代のまま、サン・アグスチン教会は在った。
奇跡の守護神と呼ばれるキリストの幼年像、セント・ニーニョが
この空間を400年守り続けたのだろう。

今までのフィリピンとは、一線を画す荘厳さである。
スペイン統治時代からの敬虔なるカトリックの歴史、
「真珠をちりばめた…」と形容されるかつてのManila。
東洋一の美しさを保っていたかつてのフィリピンが、そこには在った。

XEROX


これも、イントラムロス内での光景。
学生がおじさんにコピーを取ってもらっている。

「XEROX」

コピーを取るコトを、こういうらしい。
アメリカのコピー機メーカーだ。

「ポラロイド撮って」

似たようなもんだ。
フィリピンの学生はなんでもかんでも
「XEROX」してしまうから、困る…とは、妻の言葉。

本一冊まるごと…なんてコトもザラらしい。

イントラムロスのマクドナルド

スペイン統治時代の閉ざされた街、イントラムロス(Intamuros)へ足を運んだ。
長いスペイン統治時代のあと、アメリカ領となり、第二次大戦中は日本軍が占拠し、大量虐殺…と、
フィリピン・マニラの激動が詰まったような地域だが、エリア内には大学もあり、
…マクドナルドだってあった。

やはり、旧首都の趣きがあるのか、行き来する人々の表情にも品がある。

学生も一様に、元気で育ちが良さそうだ。
マクドナルドの店内放送に合わせて、歌を歌っている。

店員も陽気にキャンペーンメニューをおススメしてくれた。
マクドナルドという空間に収まった光景は、日本となんら変わるものはない。

…警備員の存在を除いては。

だが、彼らの存在だって、雇用対策といった面が大きい。
3度の滞在でわかったこと。

“マニラは決して危険なところではない”、ということ。

下水で体を清める


ボクにとっては衝撃的だったシーン。

HYATT HOTELでトイレを借り、
その豪華な内装に愕いていた矢先の光景だったから、
劇的さも格別だった。

写真中央の人たちは、
路上の下水口の水を汲み、
カラダや髪を洗っていた。

水が豊富に湧き出ている…
…といったことではなく、
普通の下水口にバケツを突っ込み、
洗っていた。

駐車していたクルマの運転手も
どう対処していいか、
困っている様子。

マニラの貧窮を示す一場面。

Gimme Some Money


信号待ちのタクシーにのしかかる少年。
クルマが動くまで、この状態だった。

ダイレクトアプローチ。

あまりに直截的な物乞いに、
どうしていいかわからず、

…シャッターを切った。

アート、路上販売。


同じように、路上の人々。
ツーリスト相手に
絵を売っている。

正直、絵はつまらなかった。
油絵の風景画か何かだ。

売り方も決して積極的ではなく、
遠くから絵をかざし、
みつめている…だけ。

カメラを向けても、視点はボクに釘付けだった。
しつこく、こちらを見ている。

路上でタバコを売る少女


あどけない表情の女の子。
ロビンソンデパート脇でタバコを売っていた。
弟と思われる男の子といっしょだ。

マニラでは結構ひんぱんに
このような少年少女たちをみかける。

タバコはバラ売りが基本。
カゴの中から好みの銘柄の1本を取り出し、
マッチで火をつけて、小銭を払う。

ロビンソンの人々


デパート内、唯一の天窓から差し込む光に、
顔をしかめる婦人たち。

店内はこの写真とは対照的に
見事な暗さである。

Ocean of Souls


Mania Bayのサンセットは、恋人達の睦まじき時間。
海と空との境界があいまいとなり、すべてがNeutralに留まっている。
窒素と酸素と炭素と水素のそれぞれの原子が、心なしか膨らんで、
動きを止めてしまったかのような、…充溢の時。

視界がなだらかな茜色のグラデーションに包まれ、
ただ、ただ、暮れゆく時間の流れを、…静かに楽しむ。

I wish that I could hold you
One more time to ease the pain,

But my time’s run out and I got to go,
Got to run away again.

60余年という時間が流れ、ここの海はおだやかな時を迎えている。
しかし、ここフィリピンには、おだやかでない過去がある。
波乱に波乱を繰り返し、荒れ狂う嵐の海のごとく、溺れる夜もあったことだろう。

Still I catch myself thinking,
One day I’ll find my way back here.

You’ll save me from drowning,
Drowning in a river,
Drowning in a river of tears.
Drowning in a river.

Feels like I’m drowning,
Drowning in the river.
Lord, how long must this go on?

ボクにはその60余年前のこの国の情景はわからない。
でも、60年なんて、あっという間だ。
そして、60年後には、ボクもいなくなっている。

そう考えると、この黄昏の時間は、
そんな60余年の魂の蓄積が、現出している光景なのかもしれない。
ボクは、ここManila Bayで、60余年前の情景を感じているのかもしれない。

ただよい、とどまり、永遠へとつながる時間。
恋人達が、互いの身体を確かめ合うように寄り添う時、
蓄積された魂もまた、同じように互いの魂を確かめ合っているのだろう。

In three more days, I’ll leave this town
And disappear without a trace.

A year from now, maybe settle down
Where no one knows my face.

いずれ痕跡もなく、いなくなる。
でも、魂だけは、いつまでも長くとどまっている。
黄昏は、そんな事実を思い出させてくれる。

  英詞は「Rivers of Tears/Eric Crapton」
  3月30日はCraptonの61歳のバースデー。