【on_Flickr】1023_KOMACHI


mizhen『小町花伝』@セルリアンタワー能楽堂

【脚本・演出】藤原佳奈(mizhen)
【原案】観阿弥「卒都婆小町」

百花亜希(DULL-COLORED POP)
佐藤幸子(mizhen)
佐藤蕗子(mizhen)
アフリカン寺越
鈴木しゆう

安田登(能楽師ワキ方下掛宝生流)
槻宅聡(能楽師笛方森田流)
塩高和之(琵琶)
ヲノサトル

写真UPしました〜!
【on_Flickr】1023_KOMACHI

こういった現場でしか生まれ得なかった新たな試みもコロナで足踏み。
そして感化の末、生まれるはずだった産物も足踏み。
この引きこもり期間にちがった趣向が生まれるのを期待するわ。

#ワニのいない街で

#photobybozzo

【Feb_09】一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Feb_09】新たな風景が現前


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Feb_09】空間と人が溶け合う世界


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Feb_09】振付/三東瑠璃


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Feb_09】11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Feb_09】Co.RURI MITOオープンスタジオ公演


Co.RURI MITOオープンスタジオ公演@森下スタジオ
11月の新作『Where We Were Born』へむけてのWIP

振付/三東瑠璃
出演/青柳万智子、安心院かな、斉藤稚紗冬、境 佑梨、加賀爪智子、金 愛珠、中村優希、橋本玲奈、松元朋佳、山﨑智美

写真UPしました。
【on_Flickr】0209_CoRURIMITO

るーさんの作品は空間と人が溶け合い、
新たな風景を現前させるものだから、
現状の分断状況はとてもツライ。
一日も早い「ごにょごにょとした世界」再演を願って。

#photobybozzo

【Apr_13】小室直樹の世界


引きこもりの読書体験でとてつもない「知の巨人」と出会った。

橋爪大三郎、副島隆彦、大澤真幸、宮台真司といった面々が師と仰ぐ小室博士。
敗戦を拠り所に「日本を戦争で負けない国に」するため、米国以上に近代の本質を理解すること。
情念が目標を与え、合理が手段をもたらす『和魂洋才』の精神で、
数学、経済学、物理学、統計学、社会学、政治学、心理学、人類学と知を横断し、
社会を科学的に構造/機能分析した警世家。


生涯に於いて【天皇】【田中角栄】【三島由紀夫】に関心を持ち、
彼ら同様、日本国構造体の外側から日本を救おうと決死に動いた。

その中で自分が特に響いたのが『日本教』というアプローチ。
「イスラム教が何故日本に入ってこなかったのか」という命題から⇒
日本には行動規範が成立しない、何故なら「神や仏あっての人間ではなく、神や仏は人間のための存在」だからと説く。
島(国)の外側に帰属意識がないから、入ってくる情報がご都合主義に陥りやすく、
よって「自分に役立てば良い、何でもありな状態が良い」という無規範・無連帯な行動規範(アノミー状態)に落ち着くからだと。

外の目が育たないから批判的に捉えることができない…という構造は、まさに今のニッポン。
外部からの指摘や批評が真正面に受け止められず、常に内輪話の空回りが常態化。
だから物事が常に右往左往する「空気」紐帯社会。

そんな島社会が【新コロナ】によって崩壊目前となった今日、
「国」存続を占うのは、どこに帰属性を求めるかだと思う。
小室直樹、掘り下げるわ。

以下コピペ ↓↓↓

日本社会はなぜ、危機にあるのか。それは日本人が構造的アノミー(無規範・無連帯)に陥っていて、そこから脱却する方法を見いだせないからだ。
社会を科学的に分析することもできず、教育によって社会を正常に再生産することもできず、経済が不均衡に肥大化した半面、
政治や文化や学術は停滞したままであり、歴史と直面することもできないし、国際社会と健全な交流をすることもできない。
これら戦後日本の宿痾というべき構造の病理は、アノミーとして、人々を蝕んでいる。
(『危機の構造』)

↓↓↓

平和とは、戦争がない状態。平和とは、戦争する能力がある諸国家が、努力に努力を重ねて戦争を実測しないで済んでいる状態。
ではなぜ戦後の日本人は、そのようなリアルな認識ができないのか。それは、日本が当事者能力を取り上げられ、失っていること。
その代価として、アメリカが当事者能力を日本に代わって買って出て、
米軍を日本に駐留させ、責任をもって、日本の平和を保障する立場にいるからである。
(『新戦争論』)

↓↓↓

ユダヤ教では罪なきゆえに責任を負うことによって同胞である証とするわけでしょう。
自分は何の罪もないのに、他人の罪を、罪の責任を負うことによって、彼と同胞である証とする。
日本ではこれと逆に自分が罪を犯すと自分と同じ共同体に属するものに自動的に罪を負わせることによって、贖わせてしまう。
罪なき同法に罪を負わせる構造になっている。
(『日本教の社会学』)

↓↓↓

憲法の本質は権力を拘束するもの。普通の法律とは役割が違う。
国民には憲法を守る義務なんか一切ありませんよ。
憲法は、憲法を尊重し、擁護し、憲法を守る義務なんかまったく国民には負わせていないんだ。
(『痛快!憲法学』)

↓↓↓

第二次大戦の敗北にも関わらず、天皇が退位せず、非難もされず、処刑もされず、かえって戦後日本の国民統合の象徴として甦ったこと。
天皇とはつまるところ、日本が近代化できた秘密が凝縮された存在である。
それは人であり神であるという、キリスト教のロジックを秘密の核にしているのではないか。
(『天皇恐るべし』)

↓↓↓

行政官僚に対抗し、選挙で支えられる有能な民主政治家を、法律上の形式犯で裁き、葬っても良いのか。(『田中角栄の呪い』)

↓↓↓

三島の自決は同志の死であると。日本の国家や官僚機構、企業体制やアカデミズム、などは近代を体現しておらず、
日本人民のためにもならない、エセ近代だという深い憤りを、小室博士は抱いていて、
それを三島由紀夫に仮託して述べている。
(『三島由紀夫が復活する』)

#photobybozzo

【Feb_19】『あいまいな稜線』by粟津裕介(locolo code)


『あいまいな稜線』by粟津裕介( locolo code )

内と外を分ける 線が消えてしまう
カラダのつなぎ目が 妙にゆるく感じる
丸く切り取られた 畳の上で目覚める
エッグカップに座って コーンフレークを食べながら

(目を閉じてばかりで何を思うのか まぶたの裏にちがう世界があるとでも
情熱的な言葉など、一生で話す 言葉のうち1パーセントにも満たないのに)

存在のかけら拾って セロテープで仮止めした
ねじれたハサミ使って カタチを整えてゆく
かき鳴らす音で 隙間をあけておこう
アンプリファイされた 記憶で埋めないように
虹が崩れて混ざって 黒いカタマリになった
夢が崩れて混ざって 灰色の跡が残った

(目の前にあるものと自分との境界が 分からない距離感がつかめないのなら
長さとして認識できないくらい小さな点に ただずっととどまってるしかないのか)

細胞にからだ預けて 考えずに力を抜く
中心から外に向かって 広がる力感じる
意思の力及ばず 崩れていく希望
砂で作った調和 水で崩れさる
涙落ちる先に 花が咲きますように
錆からでた実が 熟れてはじけますように

(本人に許可を得て掲載)

『錆からでた実』の端緒となった、記念碑的作品。
粟津さんの脳内を覗き込むような言葉の数々。
そこに束芋さんも脳内刺激を受けたのだわ。

(目の前にあるものと自分との境界が 分からない距離感がつかめないのなら
長さとして認識できないくらい小さな点に ただずっととどまってるしかないのか)

この一節は、『非常事態宣言』中の、今に通底してる。

束芋×森下真樹_映像芝居『錆からでた実』アメリカツアー@LA_REDCAT

構想/束芋&森下真樹
構成・演出・美術/束芋
振付/森下真樹
音楽/粟津裕介&田中啓介
ダンス/間宮千晴

舞台監督/河内崇
照明/三浦あさ子
衣裳/堂本教子
音響/堤田祐史
制作/芋々
プロデューサー/高樹光一郎
ツアープロデューサー/宮井太(ジャパンソサエティ)

#photobybozzo

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0219_REDCAT

【Apr_10】教育をめぐる虚構と真実


「小さな国家で知られる新自由主義はふたつ柱があります。
ひとつは先に述べた財政破綻の回避。ところがもうひとつある。能動的市民社会性の護持。
【国家は社会の補完物に過ぎないのに、社会が国家に依存するのはおかしい。社会は自立しなければいけない】とする発想です。
新自由主義はもともと市場原理主義ではありません。

能動的市民社会性、社会の自立、国家から自立した相互扶助、社会的包摂といった概念がひとまとまりになっています。
これらは新自由主義というより、今日の欧州主義の柱です。
グローバル化は不可避だが、グローバル化に個人が晒されないように、社会の分厚さによって
包摂された状態が望ましいとする考え方です。
ただしサッチャーやレーガンが、伝統護持と社会的包摂と等値し、規律や道徳を前面に押し出したので、
今日「ネオリベ」と揶揄されるイメージになりました。
社会的包摂の空洞化による不安を利用して、感情浄化をもたらす重罰化や戦争を奨励するイメージです。
いわば福祉国家的なリベラルの時代への、バックラッシュでした。

今日ではバックラッシュにかわってグローバル化が問題になってます。
グローバル化は不可避だが、個人が直接グローバル化の嵐に晒されては大変だ。
でも国家が個人をダイレクトに手当する財政的余力もない。だから社会的包摂_自律的相互扶助_によって、
個人を守る必要がある。ただし社会的包摂の手段は、伝統にこだわらずオープンに考える、と。

日本は経済の好調もあって、国家の財政破綻が問題化するのが遅れました。
同じく、経済の好調が背景で、教育が抱える困難の問題化が遅れました。
91年にバブルが崩壊して以降、先進国から20年遅れで、財政問題や教育問題が主題化されはじめ、
リベラル派が自己決定化、分権化、民権化、市場化などを主張するようになりました。

僕もこうした流れにコミットしましたが必ずしもうまく行かなかった。理由はポストモダン化です。
いわば「外が消えた状態」がポストモダン化です。
〈生活世界〉を生きる我々の便益のために〈システム〉を利用するという観念が崩れた状態。
〈生活世界〉の空洞化と〈システム〉の全域化のせいですべてが〈システム〉のマッチポンプに見える状態。

〈生活世界〉が空洞化しているので、「〈生活世界〉に任せます」というタイプの分権化・民権化・市場化は、不安をもたらしがちです。
そこにグローバル化の波が重なるので、そうした傾向に拍車がかかります。
「隣は何をする人ぞ」「やったもん勝ち」「勝ち逃げ万歳」といった雰囲気になります。

それ自体がふたたび不安を増幅しますから、規律化要求、監視化要求、重罰化要求が上昇して、
それに応える【不安のマーケティング】や【不安のポピュリズム】が経済と政治を席巻します。
かくして、市場原理主義的なもの小泉純一郎的なものと、国家主義的なもの安倍晋三的なものが、カップリングを見せ始めます。

「市場原理主義がもたらす不安を国家主義的なもので埋め合わせる」という循環を断ち切れないと、
鈴木さんや僕が言うような「真・善・美の判断能力」と「コミュニケーションスキル」に重きを置く教育は、
「新しい勝ち組志向」の一種になってしまうでしょう。それを回避するにはどうするべきかです。

市場原理主義と国家主義のカップリングを早く終わらせるには
「市場原理主義がもたらす痛みは国家主義程度じゃどうにもならない」という経験が不可欠です。

それにはもっと経済的に貧窮する必要があります。

幸か不幸か必ずそうした方向に向かうでしょう。
我々に出来るのは「気付きまでの時間をできるだけ短縮すること」です。

具体的には「みんなで懲りる」ことが必要です。
文科省が言うような中央集権化を徹底して、国民が要求する規律化・重罰化・監視化を行っても、
いじめも犯罪もモラルハザードもなくならない。それどころか失敗を象徴するような大事件がいくつか起こる。
かくして「昔と変わらないどころか、悪くなってるじゃないか」と気付くことが重要です。

(宮台真司×神保哲生『教育をめぐる虚構と真実』より)