
この窯は北九州の古窯を知る者にとっては異常な興味をそそる。
なぜならあの慶長頃から元禄にかけて旺盛をきわめた朝鮮系の焼物が、
今日ほとんど湮滅し去った時、ひとりこの窯ばかりは
伝統を続けて今も煙を絶やさないからである。
あの三島象嵌が略化されて、
之が白絵櫛描きの法に伝じたことは誰も知るところである。
峠を降りて村に入れば耳に聞こえるのは水車の響きである。
焼物の土を砕くのである。音の間はいたく長い。
大きな受け箱が少しの水を待っている。急ぐ用もないのである。
待ち遠しく思うのは我々の心だけと見える。
だがこの緩やかな音があってこの窯があるのである。
若しせからしい機械が入って来たら、この村は忽ちつぶれるであろう。
機械に職を奪われてしまうからである。
狭い谷間は家の増えることをすら防いでいる。
早く機械が動いたなら生産の過剰に、忽ちものがはけなくなるであろう。
この村とこの窯とには、待ち遠しい水車が一番仕事を助ける。
窯は始まって以来変わらない。伝統が凡てである。
同じものを同じカタチを同じがけを今も続けている。
柳宗悦『日田の皿山』より

