【on_Flickr】0207_IKUMI


黒須育海『FLESH_CUB』

YDC2017_Competition1「審査員賞」受賞作品

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0207_IKUMI

振付・出演/黒須育海
出演/歌川翔太、高橋美砂、谷田健太、手塚バウシュ、中村駿
照明/久津美太地

【Jun_19】確かに逃げているなぁ…と。


チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』@シアタートラム

岡田さんが震災のことをどのように描くのか、とても気になって観劇。
想像以上に静謐かつ心揺さぶる作品でした。
あのときの感覚がまざまざと湧き起こり、月日の流れに途方もなくなりました。
どストレートに作品の核心が突き刺さった感じです。

震災と原発事故が起こった直後の数日間に、わたしに押し寄せてきた感情のなかには、
悲しみ・不安・恐怖だけでなく、希望も混じっていた。

これだけの未曾有の出来事が起こってしまったことは、
そうでなければ踏み出すことの難しい変化を実現させるためのとば口に、
わたしたちの社会を立たせてくれたということになりはしないだろうか。

そう思ったのだ。あのときは。

未来への希望を抱えた状態で死を迎えた幽霊と、生者の関係を描こうと思った。
死者の生はすでに円環を閉じ、安定している。

生き続けているわたしたちはそれを羨望する。
わたしたちは苦しめられ、そこから逃げたくなって、忘却をこころがける。
                             _岡田利規


これがチラシに記載された演出家のコトバ。

確かに逃げているなぁ…と。
『東京を前へ進める!』とか、安倍がポスターで息巻いてるけど、
いったい何を?前に?進めることを?誰が?望んで?いるのだろうか。
それって、『立ち止まりたくない』だけなのでは?『直視したくない』だけなのでは?

震災直後、堅牢だった現実が見事に破綻して、
円滑だった都市機能が完全に滞ったことを前にして、
みなが悲しみ・不安・恐怖を抱いたのだけど、
そこに混じって「希望」(…ボク的には「喜び」…ほくそ笑むような、)があったのは否めないと思う。

堅牢で冷たい、突き放すような構造物も、
森や山や海と同じように、自分の存在と地続きで、仄かに交わるような感覚。

目に見える世界が全てではない…と思える、
軋みや歪みから仄見える「あちら側」。

街行く人やすれ違う人々の体温が、いつもより身近に感じ、
世界が円環し巡っている…と。
自分の身体範囲が伸びたような、居心地の良さを感じた。

人と人の連帯感…というか。命そのものへの愛おしさ…というか。

劇中、静謐な部屋から様々な自然音が耳に届く。
虫のさえずりだったり、水滴が地を穿つ音だったり、
踏切の警告音や、列車のすり抜ける音だったり。

そういった音の連なりが、無機質な劇場空間に体温をもたらすのだけど、
それって、自分たちの日常でも見喪っている感覚でしょ。

立ち止まって耳を澄ませば、自然とからだに入ってくる。
目を閉じれば、おのずと聴覚が研ぎ澄まされ、
世界における自分の立ち位置が確認できる。

結局わたしたちは、
生まれ持った全能感=この世界と地続きにつながっている感覚を、
震災で生まれた「とば口」によって、恢復できたはずだった。

月日の流れとともに、いつしかその感覚から逃げるように、立ち去るように、
「前を向け」と仕向けられるように、他律的な存在になってしまう…って、
どういうことなんだろう?

その全能感が、この社会にとって、
どのような弊害をもたらすのだろう。

なぜ、そこまでして断ち切らなければならないのか?
目に見える世界は完璧じゃない、堅牢じゃない…と、
あれだけ身を以て体感したはずなのに。
何に憑き動かされているのだろうか。

立ち止まれ、立ち止まって耳を澄ませ、オノレの居場所を確かめろ…。

よい作品は、自分の思考が投影されるって云うけど、今の自分が湧き上がっちゃった…みたいだな。

【Jun_18】理想なき民主主義は「椅子取りゲーム」でしかない。


06/12に亡くなられた大田元県知事の追悼の意味も込めて、
辺野古基地移設反対集会に参加してきました。
沖縄意見広告運動第8期0618関東報告集会

辺野古の現状報告で米軍がやりたい放題なこと、
日米地位協定によっていまだ日本には領空権がなく
オスプレイが長野県庁上空を飛んでもOKなこと、

近い将来沖縄の基地は自衛隊との共同使用となり、
米軍指揮の許、軍事訓練がおこなわれ、
なし崩し的に基地の固定化が始まること、

辺野古反対を掲げている翁長知事は、
日米安保条約の損害賠償の罪
いずれ立件されるであろうこと…などなど、

相変わらずの隷属国家像を端々に見せつける内容でした。

中でもボクの心を鷲掴みにしたのは、
特別講演されたイ・ヨンチェ恵泉女学園大学准教授のコトバで、
文在寅政権誕生の起因となった20代のキャンドルデモは、
民主化抗争から続く韓国の民主主義が30年の月日を経てついに完成へと動く、
大きな一歩なのではないか…という話。

その先には、朝鮮半島の和解と米軍追放があるのだ…という
理想を描いて韓国の若者は立ち上がり真の民主国家を形成しようと考えている…と。
それはつまり、隣国北朝鮮との戦争はすぐさま自国の戦場化自身の戦闘員化につながる…
という当事者意識の現れだということ。

日本の若者が我田引水利己的短絡的な未来しか描けていないのとは好対照

それもこれも、日本の政治家をはじめ大多数の大人たちが「リアリズム」一辺倒で余裕がなく、
理想を掲げるより先に保身に走り、近視眼的に自己利益獲得に一所懸命で、
自身が範例的な「おとな」にならん…とする姿勢を露とも感じさせない
部分にあるのではないでしょうか?

核兵器禁止条約の不参加や、
安保法、共謀罪法の強行成立
辺野古基地移設の横暴遠景にあるのは、

日本の未来像ではなく、
隷属国家日本の跪く国、アメリカです。

72年間植民地状態が常態化し、
領空権も指揮権も譲渡し、米庇護の許、経済活動に邁進している姿は、
どう考えても可笑しい…と、なぜ国民が起ち上がらないのか。

この国の歪んだ成り立ちの中で「リアリズム」に徹して生きる…とは、
ただ単に「自分ファースト」でどうサバイバルするかの処世術ばかりで、
その先の未来に「どのような世界を描くのか」理想は皆無。

われ先にポイント加算して自分だけ生き残ろうと躍起な
一億総「椅子取りゲーム」な世の中に、
生を全うすることが本望なのでしょうか?

辺野古のゲート前で
女性が機動隊に語る言葉が
これを象徴しています。

「辺野古に基地が出来たら、この先200年は使われるんですよ。
あなた200年後のことも考えてここに立ってるんですか?」

理想なき民主主義など、主義でもなんでもない。
ただの「椅子取りゲーム」です。
だから“無理が通れば道理引っ込む”…なのです。

【Jun_16】壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。by神里達博


壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。
                      by神里達博

今回成立した「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」
いわゆる『共謀罪法』がどのようなものかを
神里氏はこのコラムでわかりやすく説いているのだけど、

  ↓  ↓  ↓

ボク的にもしっくり来たのは
「壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ」というコトバ。
巷にあるグラフィティを想起してもらうと納得だよね。
人間社会って本来カオスなワケで。
様々な価値観を持った奴らが色々いて、
そういった違いをお互い認めていくことで思考も成熟し、
面白いカルチャーが跋扈する(そう、跋扈するのよ)世界になるんだけど、

  ↓  ↓  ↓

安倍政権が目指しているのは、その真逆なワケ。
「白い」社会をより白く漂白することで「見通しの良い」
監視社会にしようってこと。

渋谷にあるこういったグラフィティが真っ白くなることで、
確かに社会から異物はなくなり、管理の行き届いた「キレイ」な街
(最近よくあるでしょ、こういう空間)にってコトだろうけど、
確実に無味乾燥してるよね。

  ↓  ↓  ↓

見るからに鬱蒼としていて、
色んな生き物がうじゃうじゃ跋扈しているような、
想像の域を超えた「わからないもの」「理解できないもの」…
そういうカオス混沌が、今後ますます排斥されていく
そうするとどうなるか。

ボクが好きな紅テントアンチボみたいな
常軌を逸したクリエイティブは生まれなくなる。

つまり、そういう人間はますます生きづらくなるってコトだよ。

  ↓  ↓  ↓


創造性に乏しい、発展性のない社会。
イノベーションなど望むべくもない、
インポテンツな世の中に、なっていくのだ。

クソだね。

【Jun_15】共謀罪法成立の“茶色の朝”に


“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」 
                            哲学者・高橋哲哉さん
  
   ↓  ↓  ↓
“まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば安心が得られて、
面倒にまきこまれることもなく、生活も簡単になるかのようだった。
茶色に守られた安心、それも悪くない。”

20年前にフランスで刊行されベストセラーとなった『茶色の朝』は、
「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、
“俺”と友人シャルリーの身の回りで次々に「茶色」以外の存在が認められなくなっていく物語だ。

   ↓  ↓  ↓
従っていればそんなにひどいことにならないだろう、
自分自身が危険にさらされているわけではないという感覚は、
多くの人に共通のものかもしれません。

心のどこかに引っかかるものがあっても、
日常生活に紛れて忘れてしまったり、
煩わしさに口をつぐんでしまったり……。

法律や制度にも、逆らわずにやり過ごしていれば、
とりあえず面倒なことにはならないだろうと。

そんな傾向が確かに私たちの中にもあるのではないでしょうか。

   ↓  ↓  ↓
「最初、彼らは共産主義者を攻撃した。
 私は違うから黙っていた。
 次に社会主義者を攻撃した。
 私は違うから黙っていた。
 次に自由主義者、次にユダヤ人……
 最後は自分も攻撃される側になったが、
 誰も助けてくれなかった」

   ↓  ↓  ↓
 今、日本で起きていることは全て、
多数の有権者が持する内閣の下で行われていることです。
結果は自分たちに跳ね返ってくる。
逆にいえば、今が社会を変えるチャンスかもしれません。
問題が大きくなるほど関心を持つ人も増える。
より多くの人が考えて、参加することが、
社会を変える力になります。
原発も米軍基地も実は自分たちの問題である
ということをどこまで考え続けられるか。
それを私たちは問われているのだと思います。