【on_Flickr】0908_BAOBAB


Baobab第10回本公演ツアー
『靴屑の塔』
振付・構成・演出/北尾亘

【on_Flickr】0908_BAOBAB

出演/
北尾亘 米田沙織 目澤芙裕子 久津美太地 傳川光留 (以上、Baobab) 
福原冠(範宙遊泳) 岡本優(TABATHA) 村田茜(MOKK) 中川絢音(水中めがね∞) 中村駿

音楽/岡田太郎
照明/中山奈美

【Aug_15】黒田育世@MUSICASA


黒田育世新作公演
きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている
@代々木上原MUSICASA

私の頭の中には、踊りたいと創りたいという、
血液の固まりがずっとあって、

ある日それが取れてみると、
ぽかんと空いたその空洞には踊ると創るだけがあって、
欲求は空気に変わったのでした。

静かな音楽が首筋を駆け抜けます。

踊り続けることが決まったのは、
確かこの子くらいの歳で、
その時から私はきっと
欲求と空気の秘密を知っていました。

彼女は私の秘密を知っています。
カナリアに告げました。

ぴぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

悪い夢が急に引力を失ってやっと迎えられた夢。
二人できちんと立ってまっすぐ歩く夢。
この子と当たり前に祝祭を踊る夢。

カナリアが音楽をここに解き放ちました。
ぴぃ、、、。
私たちは家族になりました。

【Aug_15】きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている@MUSICASA


黒田育世新作公演
きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている
@代々木上原MUSICASA

振付・出演/黒田育世
ピアノ・音楽/鈴木優人
出演/関なみこ
原曲/松本じろ

〈スタッフ〉
舞台監督/原口佳子
照明/森島都絵(インプレッション)
衣裳/荻野緑
宣伝美術/太田博久
制作/ハイウッド瀧本麻璃英
主催/BATIK
助成/芸術文化振興基金

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#10


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#9


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#8


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#7


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#6


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#5


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉

【Aug_17】裂開する緑_OVERGROWTH#4


目に見える物としての全ての個体は、次元としてもまた機能する。
それらは存在の裂開の結果として与えられているからである。
結局、<見えるもの>の特性は、厳密な意味では<見えない>裏面、
つまりそれがある種の不在として現前させる裏面を持っていることだ、
ということを意味する。〈メルロ・ポンティ『眼と精神』〉