
同じく「胎内」村子役、田嶋真弓さん。
【胎内】佐山富夫

新国立劇場演劇研修生第四期修了生3人による
International Student Drama Festivalエントリー企画
の公演チラシ撮影にて。
佐山富夫役の今井聡さん。
前回のリーディング公演、近代能楽集「邯鄲」では
主役の次郎を演じてすばらしかった。
今回も期待。
公演は3月上旬予定。
【nov_09】過去を書き換えるように未来を書き込んでいく

過去を書き換えたところでたしかにそれほどの意味はあるまい、と天吾は実感する。
年上のガールフレンドの指摘するとおりだ。彼女は正しい。
過去をどれほど熱心に綿密に書き換えても、現在自分が置かれている状況の大筋が
変化することはないだろう。時間というものは、
人為的な変更を片っ端からキャンセルしていくだけの強い力を持っている。
それは加えられた訂正に、さらなる訂正を上書きして、流れを元通りに直していくに違いない。
多少の細かい事実が変更されることはあるにせよ、結局のところ天吾という人間は
どこまで行っても天吾でしかない。
天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って
過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。
…それよりほかに道はない。
(1Q84 BOOK2 p97/村上春樹)
この文節は示唆に富んでいる。
ボク個人の問題として過去を振り返り、
誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことは
自省の念として心がけることではあるのだけれど、
この文節を個人個人が引き受けることで人間の未来はまた違った輝きになるのではないか…と、思わずにはいられない。
図書館の予約が回ってきて(なんと1534番目!)2009年発行の「1Q84」にやっと今頃ありついたのだけれど、
村上春樹が一貫して説いている「過去を慮る」「不可避な運命を請け負う」ことがやはり今回も語られていて、
震災後のニッポン人は今こそ立ち止まって熟考すべきではないかと、思うのだ。
しかし、どうも立ち止まることができない、らしい。
それはおそらく資本主義経済にイニシエーションされてしまっているからだと。
常にエンジンが回っていて、生産と破壊を繰り返していないと落ち着かない。
その循環に身を任せていれば、考える必要がない…からだとも言える。
しかし、ちょっと待て。
明らかに資本主義経済は破綻の道をひた走っている。
なぜか。それは未来の資産を食いつぶしてエンジンを回しているから、だ。
黎明期、ひとびとは、発展は右肩上がりに果てしなく続くものだと想定した。
だから利子というものを設け、未来の資産を前借りすることを思いついた。
未来は現在よりも「豊か」になっているはずだから、その余剰を今使って発展を加速させよう…と。
急激な食いつぶしで、文字通り急激な発展がもたらされた。
欲が欲を産み、発展に発展が重なった。
その煽動を買って出たのは、政治家たち。
民衆の欲求をあおり票を集め、その欲を充たすべく多額の予算を土地にもたらした。
富を分配することが「政治」だと、誰もが思い上がった。
成熟期、ひとびとの思惑は見事に外れ、右肩上がりの発展が失速しだした。
発展を想定した予算はどんどん目減りし、国債を背負い込むことで急場をしのいだ。
循環が滞り出すとあらゆる歪みが露呈しだし、問題が噴き出した。
「刷新だ!改革だ!」とマニフェストを掲げ、新たな政治家があらわれ、
さらなる国債を抱え込み、「正しい発展」を約束した。
そこで大地を揺るがす天災が起こった。
ひとびとの営みを濁流は根こそぎ破壊し、替わりにひとの手に余る放射能をまき散らした。
そういった意味では「天罰」であるかもしれない。(おまえが言うなって話だけど)
天災から8ヶ月が経とうとしている今、
性懲りもなく政治家は「現在」の欲求ばかりを満たそうとしている。
現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、
過去を書き換えるように未来を書き込んでいくこと。
それはつまり、循環を滞りなく進めることではなくて、
一度立ち止まって、手にあるカードを卓上に並べ、
「今はこういう不完全な状況だ。みなさんの協力が必要だ」と訥々と語り、
目指すべき未来はこのようなビジョンだから…と、
ひとりひとりが未来を引き受け、犠牲を払うところは潔く払い、
苦慮するところはしっかり請負えるようにすること。
そのためには「対話」が必要。
「間違いだった」と認めることも必要。
そしてなにより「覚悟」が必要なんだと思う。
ここが正念場なんだけどねえ。
【池袋鈴ん小屋】里アンナ

最後は奄美大島の歌姫、里アンナさん。
ギター1本の伴奏とは思えない華やかさ。
声の質なのか、音域の広さなのか、音圧によるものなのか。
それまでの奏者がどちらかというと
ココロに沁み入るような音楽であったとすると、
里さんはココロを充たすような、押しの強さがあった。
善し悪しは好みで分かれるところだし、
その華やかさは天性のものを感じたのではあるけど、
工業製品の輝きばかりが目に付いて
工芸品の趨きまでは至らなかったように思う。
それでも工業製品は確実にニーズが高く、
工芸品は大量生産できない弱みもあるのだが。
しかし音楽の良さは、奏者の生き様が写し出されるところにあると
撮影する際はいつも心がけて構えるのだけど、
たとえば三上寛さんのような時間の堆積と熟成から芳じられる音楽とは
対極にある音楽だと、ボクには映った。
【池袋鈴ん小屋】二羽高次

二羽高次さん。
オフィシャルホームページが完成。
bozzoの写真がふんだんに使われている。
いきなり江戸時代の民謡を生唄のみで16分聴かせ、
その後「会津磐梯山」へ…と民謡だけで前半をつなげた。
自分のルーツとの共鳴をめざしているような
その展開に、なにやら光を見たような思い。
絞り出すような歌い方にも、燻し銀の輝きが付加されたような、
後光さえ見えそうな佇まい。
西麻布新世界と池袋鈴ん小屋。
一週間に2つのステージを堪能したのだけれど、
そのどしりとした存在感には、地に足の着いた歌い手の自信がみえる。
「二羽高次」の今後に目が離せない。
【池袋鈴ん小屋】JUJU
【池袋鈴ん小屋】ちみん
【池袋鈴ん小屋】ちみん+JUJU

2番目はちみん+JUJU。
ニューアルバムの楽曲を聴かせてもらって
「ちみん」という言葉の響きとはかけ離れた
ハスキーウィスパーヴォイスにやられていただけに、
今回の生音は非常に興味深く聴いたのだけど、
思っていた以上に歌がうまくて沁みた。
情景が目に浮かぶような、間の取り方や息遣いに、
完全にやられてしまった。
特に最後に歌った新曲の力み具合がまた、じーんと来た。
JUJUの控えめなサポートも
包み込むような温かさがあり、
40分を堪能。
ニューアルバムの完成が待ち遠しい。
レコ発ライブが1月15日に中目黒楽屋である。
【池袋鈴ん小屋】えぐさゆう

11月5日(土)鈴ん小屋にて。
この日はちみんさんのライブが主目的だったのだけど、
民謡特集のような演者の組み合わせで、「ニッポン」のルーツを感じた夜となった。
1番バッターはえぐさゆうさん。
屋久島出身でありながら、奄美大島の民謡大賞を2年連続受賞するなどの経歴をもつ。
アナウンサーとしても8年活躍されていたようで、この日は朗読も披露された。
モンゴルの楽曲が良かった。
【solo×solo×solo】金子未来_select

新潟でおこなわれたダンスイベント
「solo×solo×solo」金子未来さんの写真を
Flickr にUPしました!1022_miki

