【高田渡】夕焼け by 吉野弘


「夕焼け」       原詩=吉野弘 曲=高田渡

  いつものこと
  電車は満員
  そして いつものこと
  若者が坐り
  年寄りが 立っていた

  うつむいていた娘
  年寄りに席をゆずる
  礼もいわずに 年寄りは
  次の駅で降りた

  娘は坐った が
  また 別の年寄りが
  娘の前に 娘の前に
  娘はうつむいた が また
  年寄りに席をゆずる
  年寄りは礼をいって
  次の駅で降りた
  
  娘は坐った
  二度あることは三度という通り別の年寄りが
  娘の前に
  娘の前に

  かわいそうに娘
  うつむいて うつむいたまま
  席をゆずらず
  次の駅も
  次の駅も
  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで
  娘はどこまで
  どこまで行くのだろう
  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで

  やさしい心に責められながら
  美しい夕焼けもみないで

  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで
  美しい夕焼けもみないで

    ●

きっと、夕焼けはいつのまにか
深い青へと入れ替わり、

車内の明かりがガラスに反射して、
さびしげな送電塔がシルエットで浮かんでたり

…したのだろう。

ボクもこんな心象風景を
心に刻んでいる。

列車の規則的なリズムと、
行き場のない制止した空間。

巡る思い。

過ぎ去る風景。

「ボクらは、どこに行くのだろう」
…そんなことをボーッと考えていた。

くく。
おかしな事に、
今もそんな夢想ばかりしている。

【高田渡】夕暮れ by 黒田三郎


「夕暮れ」 曲 高田渡  詩 黒田三郎

  夕暮れの町で
  僕は見る
  自分の場所からはみ出してしまった
  多くのひとびとを

  夕暮れのビヤホールで
  (彼は)ひとり
  一杯のジョッキをまえに
  斜めに座る

  その目が
  この世の誰とも交わらないところを
  (彼は自分で)えらぶ
  そうやってたかだか三十分か一時間

  雪の降りしきる夕暮れ
  ひとりパチンコ屋で
  流行歌(と騒音)のなかで
  遠い昔の中と

  その目は
  厚板ガラスの向こうの
  銀の月を追いかける
  そうやってたかだか三十分か一時間

  黄昏が
  その日の夕暮れと
  折りかさなるほんのひととき
  そうやってたかだか三十分か一時間

  夕暮れの町で僕は見る
  自分の場所からはみ出してしまった
  多くのひとびとを

    ●
  
  サラリーマンには沁み入るねえ、
  こんな唄。

  でも、高校時代から、
  こんな居心地の悪さを感じてた。

  はみ出してしまった…。

  そのまま、もうすぐ不惑。
  どんどん、脱線道まっしぐら…なんだろうな。

  高田渡を携えていけば、いいっか。

  黒田三郎「夕暮れ」

【高田渡】ブラザー軒 by 菅原克己


東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上がる。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。

    ●

高田渡を追跡。
YouTubeをチェックしまくる。

「坂崎幸之助商店」では、坂崎と電車の旅を、
「ニュース23」では、筑紫さんと「いせや」で語り…と
今頃になって、2005年の在りし姿を追いかけている。

2年前に山之口貘の詩から高田渡を知って、
CDを手にしてはいたけれども、
こうやってタカダワタル的なコメントの数々、
彼を取り囲む友人の表情などを見ていると、
その圧倒的な人柄に、また涙、涙、涙。

宮城県出身の詩人菅原克己さんの詩に
メロディをつけた「ブラザー軒」というのがあって、
これがまた、胸にがつんと響いてくる。

菅原克己「ブラザー軒」
高田渡一周忌…菅原克己「ブラザー軒」
【YouTube】高田渡/ブラザー軒

硝子暖簾のお店など、
今じゃどこにも見当たらないが、
戦争の犠牲になった父と妹が
今日も氷を食べに「ブラザー軒」へ
やってくる下りは、ホントに鼻先がつんと来る。

まして東一番丁…である。

「ブラザー軒」自体は、ちょっと記憶にはないけど
かつて小学生の夏休みに過ごした、
アーケードもない東一番丁の雰囲気が思い出されてくる。

そこには戦死した父と妹ではなく、
タカダワタルさんが、ひょっこりやってきて
ビールか焼酎をたのんでいる…ような気がする。

山之口貘さんといい、菅原克己さんといい、
ホントに素敵な詩人の詩を歌にされていたんだなあ…と
あらためてリスペクト。

しばらく追跡は止まらないだろう。

タカダワタル的


「タカダワタル的」公式サイト

9月4日。
プレゼン差し戻しの訃報を受け、
どん底に落ちる。

ビールを飲みながら
「タカダワタル的」DVDを観る。

「タカダワタル的ゼロ」が2001年の映像だから、
その2年後のタカダワタルが、そこにいた。

2年後…か。

うがった見方かもしれないが、
「ゼロ」の時より確実に年を取っていた。

   歌えていなかった。

   弾けていなかった。

   声が最後まで出ていなかった。

タカダワタル的には
そんなことどうでもいいのかもしれない。

しかし、その存在が圧倒的なだけに、
ワタルさんがしぼんでいくのは忍びなかった。

     ●

2005年3月15日に撮られた
インタビュー映像が特典で入っていた。

この1ヶ月後、ワタルさんは召された。

そんな思いも重なるのだろう。
1杯の焼酎でふにゃふにゃに
酔っぱらうワタルさん。

外はまだ明るいのに、
「いせや」の畳に横になり、
寝入ろうとするワタルさん。

なんだか、哀しかった。
ものすごく涙があふれた。
…勝手なもんだ。

DVDに「追悼高田渡」として
今回の映画にかかわったたくさんの人の
お別れの言葉がつづられてあった。

映画の公開が2004年である。
そのプロモーションで全国行脚したのが、
最期となった…のだ。

3月15日のインタビューで
ワタルさんは、「いやあ、去年は疲れた」
「全国をいろいろ回ってね、大変だったよ」
…と語っている。

しかし、その後のアルバムの構想もしっかりあって、
「虫をテーマに1枚のアルバムを作りたいんだよ。虫。ムシ。昆虫ね。」
とさまざまな詩人を例に、そのアイディアを話していた。

そのインタビューに同席していた中川五郎さんが
追悼文で「悔やんでも悔やみきれない」と
書いているのが、胸に響く。

     ●

僕の生き方は贅沢っていえば贅沢だよね、
自分でしたい仕事しか選ばない。
それはひとりでやってるからできるのであってね、
事務所構えている人にはそれは出来ないだろうね。
仕事が無くたって別になんにも気にしない。
時間を売っている訳だからね、
その時間くらいは自分で自由にしようかと思ってる。
だからウチでというか、ぼんやりしている時間のほうが
大事だと思うんです。スケジュール通りに
「こうしなきゃいけない。ああしなきゃいけない」
というのは僕には向いてない。
でも予定が入っちゃうと、その日まで元気にやってなきゃ
いけないな…というのはある。

      ●

まあ人と会っているのが好きなんだろうね、
そこで人から色々な養分をもらって帰る。
人に会うとね、「ああこういう考えもあるんだ」ってね。
僕はそういう時に惹かれる。
文字が嫌いな訳じゃないけど、それだけで煮詰まっている人がいるよね。
そういう人には僕はあんまり興味がない。
人と喋ってるほうが面白いじゃない。
それでやっぱり歌っているのも好きなんだね。
たぶん歌う瞬間が好きなんだ。
くたびれるけどね。
でもそれもしょうがないなって…これも病気といえば病気だね。
でも歌っていなければね。
まあ、もう少し何かをしなきゃいけないなぁとは思ってる。
もう少し何かやってからじゃないと。
引退するとかそういうことじゃなくてね、
もういいなと思ったら黙って歌うのを辞めるだけ。
周りはね、「君が一番長生きするよ」なんて言うけど、
長生きなんかしたくない。けど明日、すぐに逝くって訳にもいかないんですよ。
           (2005年3月24日吉祥寺・いせやにて)

       ●

1949年1月1日 – 2005年4月16日。
歌に生きたあなたに、ホント勇気づけられます。
タカダワタルに出会えて、良かった。

【宮崎駿】崖の上のポニョ


「崖の上のポニョ」公式サイト

8月29日。
レイトショーで
「崖の上のポニョ」を見る。

20時30分からの上映というのに、
子ども連れの家族で満席。

公開から1ヵ月も経つというのに、
この盛況ぶり。
宮崎駿のすごさをマジマジと見た。

約2時間。
映像のインパクトと
中身のハヤオワールドを堪能。

正直、ストーリー背景は
よくわからなかったが、
映像体験を主としているのだろう。
…と勝手に解釈して納得する。

(だいたいポニョはナニモノなのだ?)

その後、
8月5日に放映された
「プロフェッショナル~仕事の流儀~」
宮崎駿特集をビデオで見る。

「生きててよかった。」

この今回のキャッチコピーが
ハヤオ自らの幼少体験から来る話を聞き、

また、劇中の登場人物、
老人ホーム「ひまわり」でクセのある老婆として
描かれているサキさんに自分のお母さんを投影し、
映画の中で主人公「宗助」と向き合わせることで、
自分の中の母との関係を修復しようとしたエピソードなどを
聞かされると、

…なるほど、極私的な思いが昇華されると
 それはひとつの普遍的かつ不変的なメッセージとして
 心に深く伝わるのだ…と合点。

宮崎駿がその思いを伝えるべく
極私的な感覚を細部にわたるまで投影し
何度も修正をかけている制作過程を見て、

グラフィックデザイナー杉浦康平の言った
「ミクロの調和がマクロの調和へと共鳴する」
意味を理解した。

やはりあくまで個の魅力が
世界を魅了するのだ。

デジタル化が進み、すべてが平準化され
怖ろしいほどの効率化を企てる輩が多い中、
手仕事にこだわり、極私的感覚にこだわり、
大衆を相手に「どうだ!」となげうった宮崎駿は、
現実を痛烈に批判しているように思う。

「崖の上のポニョ」はひとつの金字塔だ。