
3月20日。
支流発見。
透き通った水が、流れていた。
うつくしい。
湖はもうすぐ…だ。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

3月20日。
支流発見。
透き通った水が、流れていた。
うつくしい。
湖はもうすぐ…だ。

3月20日。
明るくなってきた。
森を抜け、湖に近づいてきたのだろうか?
たとえ湖に到着しても、
湖面は凍っていることだろう。
そのまま突き進む。
冷気が心地よい。

3月20日。
まだ午前10時ぐらいだろうか。
今日の午後5時には
帰りのフライトに搭乗している身。
こんな森深くに
入り込んでる場合だろうか?
どんどん、視界が狭くなってきた。
まさにヌークシオ。
フィンランドの自然が、ここにあった。
まだ1時間ほどだろうか?
あと1時間で引き返さなければ…。
帰りのバスを見逃すと、
列車も乗り遅れ、
中央駅への到着が危ぶまれる。
…そこから、さらにシャトルバスで空港…か。
焦っても、しょうがない。
ここはフィンランドの森の中。
しっかり自然を満喫しよう。

3月20日。
どんどん雪山を分け入る。
湿地帯なので、
人間の歩くコースは
すべて木の橋が渡されている。
…とはいえ、雪景色で
ここが湿地だか、平地だか、
まったくわからない。
ひたすら、
木々にくくりつけられている
オレンジの布を頼りに
雪山の中へ。
トイレもなければ、
休憩する場所もない。
平地なので、登る苦労はないが、
…このdirectionで合っているのか、
…とんでもない方向へ向かってないか、
…果たしてボクたちは起点に帰れるのか、
そういった不安は、常にあった。
しかし、信じて進むしかない。
ガイドをする人間もいなければ、
インフォメーションカウンターもないのだ。
あるのは、白い雪と青い空、そして針葉樹のみ。
途中でどうしようもなく
トイレに行きたくなった。
「小」ではなく、「大」。
誰もいないのをいいことに、
コースをはずれ、用を足すことに。
まさに自然と一体化。
こんな雪山で
白い臀部をさらすとは!
マイナスの冷気が
デリケートな部分を刺激する。
それもまた、
「旅の恥はかき捨て」な貴重な体験。
雪山に湯気がのぼった。

3月20日。
やっと行き着いた
ヌークシオ自然公園入口。
なんてことはない、
「ここから入れ」的標識があるだけ。
5m間隔で付いている印だけを頼りに
森の中へ、分け入る。
雪山だ。
ここで路頭に迷ったら、
飛行機どころか、
凍死だって覚悟しなけりゃ、ならない。
それぐらい、
東西南北…同じ光景。
雪と木。
ただそれだけ。

7月6日。日曜日。
快晴。
読谷の渡具知ビーチで
泡盛メーカーの店頭PV撮影。
実際に肉と野菜を買って
ビーチパーティを演出した。
朝からエキストラに集まってもらい、
ビーチパーティの準備。
泡盛も夏カップ仕様だから、
クーラーボックスに氷と一緒に冷やしておけば、
簡単・手軽に楽しめる。
撮影そっちのけで
場も盛り上がり、イイ感じ。
仕事じゃなければ、
酔いも廻って絶好調…だったはず!
沖縄の週末は
どこのビーチでも
繰り広げられる光景。
青空と青い海が開放的で
ホント気持ちいい。

3月20日。
とびっきりの天気。
白と青のコントラストが美しい。
国旗の色は
この白い雪と空の青、湖の青を
表しているに違いない。
歩けども歩けども
目的地のヌークシオ自然公園の入り口には
辿り着かない。
世界には
ボクたちしか
いないんじゃないか…
そんな感慨も湧いてくる。
白と青しか
存在しない世界。
ここは北緯60度の
異国の地。

3月20日。
雲ひとつない空。
人っ子ひとりいない。
針葉樹の雪道を
ひたすら道なりに歩く。
山のためか
一際、寒さを感じる。
ジーパンをすり抜ける冷気が痛い。
それでも
快晴のおかげで
気分は晴れやかだ。
圧倒的な自然を前にして、
不安と期待が入り交じり、
ドキドキしていた。
これこそ海外の醍醐味だ。
予想もつかないスケール。
予想もつかない恐怖。
そのスリルに興奮していた。
果たして
ヘルシンキに戻れるのだろうか。

3月20日。
フィンランドで
初の快晴。
しかし…。
今日の夕方には
ヘルシンキを発って
関空経由で沖縄へ。
この事実を
常に意識していないと、
乗り遅れてしまいそうな
そんな気分。
なぜって、
ボクたちは今、
フィンランドの山奥。
街頭すらない、
行き先を示すサインすらない、
バス停の停留所もないような
そんな山の中。
言われた通りに
約2キロ北上すれば
ヌークシオ自然公園の
入り口に着くらしい。
バスも行き着かない、
そんなところへ
今日出発のボクたちが
足を運んで大丈夫なのだろうか?
雪深い湿地帯のヌークシオへ
この季節に行くツーリストもめずらしいのだろう。
平日の朝ということもあって、
誰も、いない。
Nobody knows。
誰も、しらない。

★思い出す彼女の姿
いつまでも 愛して アイヤイヤイ
心配だけど I Love Ypu
いますぐに 抱きしめてキスしたい
Oh 彼女に会ったら涙
ボクの目に こぼれて アイヤイヤイ
甘くやさしい I’ll Kiss You
いますぐに 手をとって踊りたい
いくら愛する心でいても
Baby I’m so Blue
何もできない I’m so Crazy
だからDarling Come Back to Me
★Repeat
いくら愛する心でいても
Baby I’m so Blue
何もできない I’m so Crazy
だからDarling Come Back to Me
★Repeat
●
はじめてYahoo!オークションというものに参加して
はじめて落札してしまった。
「CAROLポスター」
1972年8月に結成され、
10月にミッキーカーティスに見いだされデビュー。
その後は昇り龍のごとく活動の場を広げ、
1974年には山本寛斎のショーでパリコレにも出演。
そのドキュメンタリーを「ガイヤシンフォニー」の
龍村仁がNHKを休職してまで撮影している。
1975年5月15日にわずか3年という長さで解散した
矢沢永吉の所属した伝説的ロックンロールバンド。
「成り上がり」が書かれたのが1979年。
構成をしたのが、あの糸井重里。
このポスターは篠山紀信の撮影だ。
錚々たるバリューのクリエイターたちの名前が並んでいるが、
彼らも1975年あたりは30代だったはず。
矢沢永吉26歳。
この激しくも一途なロックンローラーを
気鋭のクリエイターたちが取り囲み、
あれよあれよと一流の世界へのし上げた。
CAROL全国ツアーにタイバンで出たのが
加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンド。
彼らも1972年のデビュー。
このポスターに一目惚れしたのだけど、
そんな70年代の尖った感性が
しのぎを削っている感じがにじみ出ていて
矢沢永吉の眼差しとともに、
「これはスゲエ」と感嘆せずにはいられなかった。
あれから33年。
矢沢の永ちゃんは
いまだに第一線で
活躍している。
ものすごいパワーだ。
そして、今振り返って
このポスターで気取る永ちゃんを
じっと眺めていると、
その持続するパワーみたいなものが
しっかり潜んでいる…と感じてしまう。
世の中すべてを斜に構え、
「オレはビックになってやる!」
そんな気概が、溢れている。
ただただ、スゴイ人だと、ひれ伏すしかない。
★ ★ ★
それにしても、このロゴは秀逸。