
1903年ー1963年の60年を駆け巡った
小津安二郎はここ深川の生まれ。
だから図書館に行くと
彼の無声映画も借りられる。
「その夜の妻」は昭和5年の作品。
アメリカ映画を観て育った小津らしい
照明やアングルに凝った作品だった。
蓮見重彦の「監督小津安二郎」を読了。
蓮見さんが指摘する小津映画の特長には
目からウロコの視点が多く含まれていて
「これはきっと今後の指針になるな」
と、深く感銘を受けた。
…ということで、サイレントムービー。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

1903年ー1963年の60年を駆け巡った
小津安二郎はここ深川の生まれ。
だから図書館に行くと
彼の無声映画も借りられる。
「その夜の妻」は昭和5年の作品。
アメリカ映画を観て育った小津らしい
照明やアングルに凝った作品だった。
蓮見重彦の「監督小津安二郎」を読了。
蓮見さんが指摘する小津映画の特長には
目からウロコの視点が多く含まれていて
「これはきっと今後の指針になるな」
と、深く感銘を受けた。
…ということで、サイレントムービー。


吉原遊郭の土手通りを行くと山谷地域に出る。
あしたのジョーにもあるように
「人生にやぶれ、生活に疲れて果て、このドヤ街に流れ込んだ人たちが泪で渡る悲しい橋」泪橋のたもと。
この城北労働福祉センター周辺には一泊2000円ほどの簡易宿泊施設が軒を連ねる。
今は外国から来たバックパッカーたちが集う新しい文化も根付いてきた。
住民のおじさんに声を掛けられた。
「俺も33年、この山谷に暮らしてるけどよ、
今の時代が一番苦しいな。
角栄の時代はよ、日雇いで1万6千円ももらえたんだな。
しかし、今じゃ空き缶集めて日当2000円にもならねえ。
おまけに区の条例で10月からは空き缶の無断収集で罰金だもんなあ。
まったく住みにくくなったもんだよ。
底辺を支えている俺たちをなんだと思ってンだかな。」
吉原に山谷。
「生きる」縮図を思い知らされた。

弁財天から吉原神社はほど近い。
気の流れがとても良く感じられた。
風が心地よい。
遊郭の周りには、
写真観や婦人科などが建ち並んでいたそうだ。
遊女の街、吉原。
彼女たちのニーズに合わせて
街は形成される。
ここ吉原神社も女性へのご利益が豊富な神社。
だから、気の流れも心地よいのだ。

1855年の安政江戸地震のあと、
1923年の関東大震災でふたたび吉原は炎上する。
災厄の多い時代ではあっただろうが、
堀で囲まれ木造が犇めいて在ったとされる遊郭は
炎に包まれるとひとたまりも無かったことだろう。
多くの遊女が炎から逃れようとこの弁天池に身を投じた。
その供養塔は、風を受けて果敢に胸を張る弁財天。
そのお姿に力強さと、ここ吉原の持つ磁場を感入った。


浄閑寺で遊女たちの御霊を祈り、
現在の吉原遊郭へ。
この地は風俗営業取締法の特例区として、
現在もいわゆる風俗の営業を許されているそうだ。
400年の歴史がそうさせるのか。

その新吉原総霊塔に供してあった簪と扇子。

1855年の安政江戸地震で浅草・深川の埋め立て地は甚大な被害を受け、
吉原遊郭の遊女たちの死体はここ浄閑寺に投げ込まれた。
「生まれては苦界、死しては浄閑寺」
とは、その遊女たちの薄倖の様をうたった花又花酔の川柳。
平均年齢21歳という若さでこの世を去っていった女たち。
その寄る辺ない思いが、ここ浄閑寺の新吉原総霊塔に眠っている。

都電荒川線で早稲田から三ノ輪橋へ。