
震災遺構・山元町立中浜小学校。
【May_14】中浜小学校2階音楽室

震災遺構・山元町立中浜小学校。
【May_14】中浜小学校下駄箱

震災遺構・山元町立中浜小学校。
【May_14】中浜小学校1階部分

震災遺構・山元町立中浜小学校。
【May_14】海岸線よりわずか200m

海岸線よりわずか200m。
2階の校舎すべてが呑み込まれた山元町立中浜小学校。
90人全員がとっさの判断で屋上に逃げ、助かった。
【May_14】震災遺構・中浜小学校

海岸線よりわずか200m。
2階の校舎すべてが呑み込まれた山元町立中浜小学校。
90人全員がとっさの判断で屋上に逃げ、助かった。
【May_14】亘理郡山元町牛橋の被災家屋

海岸線よりわずか850m。
【May_14】震災遺構・荒浜小学校

【学校と震災】若林区荒浜小学校
【May_14】震災遺構を伝える告示by仙台市

【学校と震災】若林区荒浜小学校
【May_14】集積された墓石群@若林区浄土寺

震災による津波で方々へ散り散りとなった墓石が
敷地内に整然と並べられていた。
荒浜のなにもない平地に集積された黒い石たち。
その黒さが質量を感じさせた。
その重さがそのまま死者の重さを想起させた。
だだっ広い海岸縁に、幾体も幾体も積み重なる震災の犠牲者たち…
そのひとりひとりの無念な思いが石から発せられているように、ボクは感じてしまった。
いや、震災で亡くなった人ばかりではないだろう。
墓石として在るからには、震災前に亡くなられた方々だろう。
そうアタマでは分かっているのだけど、
震災から5年という歳月の重さと、「なにもない」荒浜のバランスを欠いた空虚さとのギャップに、
気持ちが引き戻されてしまったのだ。
5年。5年という時間は、死者を弔うにはまだまだ短すぎる。