【Aug_23】ひなびた大衆酒場『中村屋』


江戸川区のひなびた大衆酒場『中村屋』。
落ち武者のような外観がまたそそられるけど、
中も昭和感全開で、楽しい我が家って感じ。
酒は「瓶ビール」と「自家製ハイボール」(自家製ってのがミソ)
しかないのだけど、料理が豪快で舌鼓〜!
勿論安価で楽しめる!超オススメ。
密で飛沫もご愛敬だよ〜。
#photobybozzo

【Aug_15】イデオロギー噴出の先にあるもの。


0815@靖国_イデオロギー噴出の先にあるもの。

イデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。
イデオロギー的な見方をしている人は何らかの事実を歪曲して見ており、
その主張には虚偽や欺瞞を含んでいることがある。

イデオロギーは非合理的な信念を含んでいるが、巧妙にそれを隠蔽していることが多い。
また事実関係や社会状況の一部を偽り、自己に都合のいいように改変していることがある。

イデオロギーは闘争的な観念である。
イデオロギーは何らかの立場を社会において主張、拡大しようとする。
また実際ある政治理念が違う立場に立つ政治理念を批判する場合、
相手の政治理念が「イデオロギー的である」と指摘することがおこなわれる。

イデオロギーはその意味においても何らかの価値観対立を前提としている。

またあるひとがある種の政治理念を「イデオロギー」として定義している場合、
そのひとはその政治理念とは異なった立場に立っていることが多い。

#photobybozzo
#サル化する世界

【Aug_08】自然と一体化した営みは、色んなことがダイレクトに自分たちに返ってくる。


「行く行く詐欺」で早7年、南伊豆で就農5年の欠掛家を訪問。
もっと早く行きゃあ良かった…と、
南伊豆の暮らしぶりを畑から湧き水から海遊びまで堪能。
長雨で今年は米も野菜もキビシイ状況だけど、
自然と一体化した営みは、色んなことがダイレクトに自分たちに返ってきて、
分断した都会生活で見失ってた感覚を揺るがすわ…と、深く深くガッテン。

コロナが気づかせたわ。感謝。

#photobybozzo

【Jul_21】日本人ほど個人主義な存在はない。


日本人は集団主義だというけど、
日本人ほど個人主義=エゴセントリックなエゴイスティックな存在はない。
何故か?所属集団の中でのポジション獲りにだけ注意が集中していて、
所属集団以外にいろんな集団があって、それが乗っかっている「プラットフォーム」に対する貢献_
パブリックマインド・シビックヴァーチューが圧倒的に低い。

それはつまり内的な確かさがない。
周りを見て、周りに見られて「おかしい」と思われたくない、
周りと違うことをやりたくない。
これは倫理じゃなくて、ただの同調で、ピアプレッシャーとも違う。
結局自分のポジションが喪われることをしたくない。
この自己中心性が日本のパブリックマインドを蝕んでいる。

(社会心理学者・山岸俊男)

#photobybozzo
#サル化する世界

【Jul_17】れいわ新撰組大西つねき氏『命の選別』発言


ナチズムの人種主義は、人間だけの世界に収斂するものではない。
ナチスは、「人種」を語る言葉と同じ言葉で
「動物」や「植物」や「土壌」について語っている。

これは、ダレーが、『血と土からの新貴族』で述べていたように、
除草の対象を草ばかりでなく人間にも適用させたことや、
農民がフォークで掃き出す対象として
人間を当てはめたナチ党の選挙ポスターにも垣間見られる。

つまり、いわゆる狭義の「人種主義」では捉えきれない
「生態学的」な意味合いがナチスの人種主義には常につきまとっており、
「生命法則」という語にまさにこうしたあり方が込められているのである。

これは、冷徹な大量殺戮へと連なるナチスの「人種主義」が、
決して生命感覚の鈍麻から生じたものではなく、
むしろ「生命」の充溢と氾濫と過剰から生まれていることを意味している。

ユダヤ人の「生命」を「もの」のように処理する精神を支えていたものは、
ドイツの農場、農法、農民、土壌をいかに細部に至るまで
「生命力」の漲ったものにしていくか、
という溢れんばかりの生命観だったのである。

(『ナチス・ドイツの有機農業』より藤原辰史)

第一次大戦の兵糧攻めで飢饉による犠牲者を76万人以上出したドイツは、
来る世界大戦に向けて『血と土の思想』に倣い、
国土と人間の生命力を高めるべく、生態系の円環を強化する〈有機農業〉にシフト。

その結果として不純物であり寄生虫であるユダヤ人の粛清が大々的に行われたのだった。

これは稲作を営みの中心にした天皇及び神道とも親和的な発想であり、
食い扶持を確保することが人間社会では最重要課題であることを再認識させられる。

コロナ禍によって人間社会全体に余裕がなくなり、末端にシワ寄せが及び、
引いては退席を強要される事態がいよいよ現実味を帯びてきた。

れいわ新選組の大西つねき氏は、経済破綻の先には『命の選別』が行われる…それが政治だと発言した。
ナチスの背景に飢えがあった事を鑑みると、この発想は決して突飛ではない。
寧ろその様にして選り分けが行われるのは世の必然だからだ。

残念ながら現代の社会システムはすべてに序列を求める、競争を是とした機構と教育が施されている。
この全き事実をしかと直視し、今後の事態に対処してゆかなければならない。

#photobybozzo
#サル化する世界

【May_19】コロナで露わになる日本の脆弱なセーフティネットの実情


日本の政治システムの中で、
政治家や行政官僚たちが、
色んなアイディアを出したり、
制度を作ったり、
頑張ったり…ってことで
競争をしていないんですよ。

行政組織も政治組織も
国民のほうを向いていない。
今までそうだったので、
コロナ禍になった時に、
突然国民のほうを向いて
国民の身に成り切って、
ここに何が必要かって
考えるマインドを持つ
人間が非常に少ない。

↓↓↓
コロナで露わになる日本の貧弱なセーフティネットの実情
(宮台真司『マル激トーク・オン・ディマンド第997回』より)

敗戦後から70年までは高度経済成長で「豊かになりたい共通前提」があり、
政府の組織目標も自明に思えたのだけど、72年の石油ショック以降、
財政状況も変わり「心の豊かさ」を名目に人によって幸せの尺度が違うとして、
利権目的の裁量が増えたことが1点。

80年代からは郊外の共同体空洞化で相互扶助が喪われ、
個人と国家がダイレクトにつながった結果、セーフティネットへのスティグマが先鋭化し、
「自己責任」という言葉が社会を覆うようになったことが1点。

困窮者の救済は共同体保護の前提である…という認識の劣化を、
このコロナ禍の時代、ひとりひとりが受け止めて考えなければならない。

#photobybozzo