【Mar_30】ゆびさきの半景、いよいよ楽日


いよいよ楽日〜!サカサマナコ「ゆびさきの半景」@西荻窪がざびぃ

「あのときから10年の間。毎日を繰り返しながら階層をのぼっていくにつれて、
たまぁに意地悪な大人に出会ったり、あー世界は思ってたより理不尽なんだなーって感じたり、
もうそんなことを感じることさえ忘れてしまったり、きっとこれからもこうやって、
くさくさしちゃう毎日の方が多いんだろうなって思って、ちょっぴり絶望したりします。」
(脚本・演出担当シィーコのコトバ)

でも、

「いくつになっても、好きなものを作れる、帰ってこられる場」
(音楽・音響担当ハルちゃんのコトバ)として、
サカサマナコを振り返り、出来たのが「ゆびさきの半景」。

それは、

「何十年後かにこの物語を思い出した時に、今の温度を思い出せるように」
(美術担当ヤマモトくんのコトバ)と、
5人の女の子たちの心のつながりを封じ込めた作品。

サカサマナコの3人自身が、いくつになっても戻ってこられるような拠り所として、
役者と共同作業で創り上げた物語です。
会場となる「がざびぃ」に入った瞬間、そんな心のぬくもりが伝わってきます。

この先、どんな試練が待ち構えているのか、誰も想像つきませんけど、
「ゆぎさきの半景」に戻ればいつでも、きっと立ち直られる。

そんなやさしくも芯の通った出来映えです。

あと2回の公演。慈しむような時間を体感してください〜!

【Mar_28】東京ノートの星麻くん〜!


楽日終演後の星麻くん〜!ミクニヤナイハラプロジェクト「東京ノート」@吉祥寺シアター

楽日滑り込みで観てきました!!

ミクニ演出も「東京ノート」も初見でしたが、
メチャメチャ楽しめました!

これはもう体感演劇!
いや、演劇とかいう枠組みに囚われること自体馬鹿げている、
新しいカタチのカラダ表現です〜!

ダンサーであれ、役者であれ、ミュージシャンであれ、
アーティストであれ、およそ舞台表現を志す輩は、
しっかり体感しておいてくれ〜!と云いたい。

最後の最後まで「東京ノート」の内容は分からず終いでしたが(それも問題だけど(笑))、
本作の核となる、
カラダ在ってのコトバ、ワタシ在ってのセカイ
がビシバシ伝わってきて、
【アナタが今見ているセカイは、アナタを源泉としている】そのことが、
走り回る21人の役者ひとりひとりのカラダから照射されていて、
なんとも云えない気持ちになった。

結局のところ、舞台作品とは、現実をどう切り取って提示するか、であるので、
今の世の中にはびこる一抹の不安は、
実はひとりひとりの心に宿る不安と相似形で、
それはフラクタル曲線のように
極小単位の不安が増幅され積み重なって強大なものへと押し上げられているのだ、
といった物事の状態を、

アタマでっかちのコトバじゃなしに、
カラダから発せられるコトバとして表出されていることが、
もう素晴らしいと思った。

プロジェクターやグラフィックを使った味付けも秀逸。
いろんなアイディアが詰まりに詰まった舞台作品。

連日大入り満員で立ち見が出るほどの客入りも肯ける。
しかと目撃できた良かった!と思える舞台でした。感謝!!

【Mar_23】人間はすべて障害者である。by辺見庸


人間はすべて障害者である」by辺見庸氏。
生きるコトを全肯定する力強いコトバたち。一読あれ。

「人間というのは疾病なのだ」と。僕も、ほぼ同感ですね。
巨視的に見た場合、物質には健常体などというものはありませんよね。
それと同様に、人間存在にも健常体などというものはない。
哲学的な意味で「人間とは疾病なのだ」というイメージを持つことにより、
僕なんかは個人的にほっとするところがある。

健常という概念は、常に「健常であるべき」という強制力=イデオロギーを含みますしね。
それともう一つ、僕はなぜか、不揃いで欠損のあるもの、
そして“正気”ではないもの、正気ではないとみなされるものに、強く惹かれるのです。

その逆には吐き気をもよおします。

「病院という閉域は、刑務所や拘置所、学校同様に、
人と人の関係性がいわば制度的に偏方向的になりやすい。
患者と医師、囚人と看守というように<見る>と<見られる>が不当にはっきりします」(「自分自身への審問」)。

たとえば障害者福祉の現場でも「見守り」という言葉があるように、
障害者は健常者に一方的に<見られる>存在でしかない。
この双方向性を欠いた一方的な視線こそが、健常幻想の暴力の根なのではないか。

そもそも人間存在が有用であるべきかどうかということがあります。
僕はそうは思わないですけれど、人間存在が有用ではないかもしれない
という前提を持つこと自体、いまの社会は許さないようなところがある。

それともう一つは、人間存在が「どう望まれているか」ですね。
たとえば障害者とカテゴライズされた人々は何を期待されているのか。
おそらく、有用であるように望まれているのだと思います。
社会ないしは国家というものに──あるいは労働力という機能としてともいえるでしょうが──
役に立てるような身体たるべく強制されている。

それは、人間は健常であるべきという圧力と等しい。

──まあ、健常であるべきだという圧力は強いですよね。

ますます強くなってきている。
それは政治的なというよりも、むしろ資本主義的な圧力でしょう。
健常さを迫られているとでも言いましょうか。

こう、みんなで同じ歌を歌うとか(笑)、
みんなで統一されたシュプレヒコールを乱さないように叫ぶとか。

その中で一人だけ違うことを言ったり、違う行動を取ったりすると、
たちまち病者にされてしまう。

僕はそうした嫌な光景を色んな現場で見せられました。
われわれはいま、そんな社会に生きているのだと思います。

国家というのは純粋国家化といいますか、剥き出しの国家と化しつつあるのですね。

それで、僕が最近、いちばんグロテスクだと思い、
恐怖を覚えたのが「一億総活躍社会」というスローガン。

国民すべてに活躍せよと強制する──これは暴力以外の何物でもありません。

このスローガンに反発する声が少ないことに僕は驚くのです。
かつては、こういうことは冗談でもなかなか言えなかった。
一億総活躍って、余計なお世話だっての(笑)。

仮に体が動こうが、お役に立てようが、
こちらは活躍なんてしたくないわけですから。

それはともあれ、一億総活躍とはとんでもない国家スローガンであって、
そうした文言が出てくる状況というのは、やはり1930年代あたりに似ている。
ファシズムの時代ですね。

ある意味、現在の日本国はファシズムを反復しようとしているように見えます。

【Mar_17】木村恵美子@東京フォーラム


木村恵美子(kazakami主宰)@東京国際フォーラム

monophonic orchestra 8
『サイクルサークルクロニクル』出演
■脚本・演出/須貝 英(monophonic orchestra)
■日程/2016年4月6日(水)~11日(月)
■会場/APOCシアター
(小田急線千歳船橋駅より徒歩約1分)
〒156-0054 東京都世田谷区 桜丘5-47-4

【Mar_17】木村恵美子@小松川公園


木村恵美子(kazakami主宰)@小松川公園

monophonic orchestra 8
『サイクルサークルクロニクル』出演
■脚本・演出/須貝 英(monophonic orchestra)
■日程/2016年4月6日(水)~11日(月)
■会場/APOCシアター
(小田急線千歳船橋駅より徒歩約1分)
〒156-0054 東京都世田谷区 桜丘5-47-4

【Mar_15】木村恵美子with早春の枯れ葦


木村恵美子(kazakami主宰)@荒川土手

monophonic orchestra 8
『サイクルサークルクロニクル』出演
■脚本・演出/須貝 英(monophonic orchestra)
■日程/2016年4月6日(水)~11日(月)
■会場/APOCシアター
(小田急線千歳船橋駅より徒歩約1分)
〒156-0054 東京都世田谷区 桜丘5-47-4