【May_06】藤原辰史『戦争と農業』


言うまでもなく、農業は、人間が生きていくためのかけがえのない産業です。
そのために発達させてきたはずの技術が、しかし、実は人間を大量に殺す技術の基盤と重複している。
トラクターの生産技術は戦車に、化学肥料の生産技術は火薬に、毒ガスの生産技術は農薬に転用されました。
そのことは使用者である農業従事者たちも意識していない。責任者がすぐに頭のなかに浮かばない仕組みです。

もしも、この世の中から兵器をすべて廃棄できたとしても、この仕組みがある限り、
いつでもすぐに民間の技術は戦争に利用されるでしょう。
わたしたちは常に、戦争に陥りやすい、暴力が発生しやすいこの仕組みにがんじがらめになっている。
これだけの兵器と兵器に転用できる民生技術に囲まれた地球で戦争がなくなることなど、
魅力的な遊具のある公園ですべての子どもが遊具を使わないで遊ぶぐらい、
ほとんど不可能と言って良いでしょう。

トラクターと戦車、
化学肥料と火薬、
農薬と毒ガス、
原子力発電と核兵器。


戦時利用であれ、平和利用であれ、
どちらも似た性質を持っています。

どれもが、扱う対象に対して距離をとって、
人間が長年培ってきた勘やそれに基づく即興的な対応力ではなく、
マニュアルに依存して用いる道具です。

トラクターに乗っていると、
土壌中の湿気と微生物たちの活動に注意を払いにくくなるように、

戦車のなかに閉じこもっている限り、
戦場で腐敗した死者の肉の臭いを嗅がなくてもすみます。

農薬を大量に撒くことで死んでいく虫がどんな虫か、
場合によっては益虫かもしれないことも考えなくてもいい。

遠距離からガスを詰めた砲弾を発射すれば、
毒ガスによって爛れた皮膚を見なくてもいい。

原爆後の長崎で死んだ子どもを抱くお母さんの
虚ろな顔を見なくてもいい。

農薬によって畑の周囲の昆虫が激減し生態系が変わることも、
農業用水や地下水が汚染されることも、人々の健康が著しく害されることも、
特段気にする必要はありません。

とりわけ化学肥料やそれが含まれる養液を用いる植物工場では、
菌がつかないように厳重に衛生管理されていますから、
病気になったレタスを見なくてもすみます。
   
         
(藤原辰史著『戦争と農業』より)

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