【Feb_20】自由にはそれなりの限界があること、限界こそがこの存在の反抗の力そのものだ


20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ by 内田樹

「極限的自由、すなわち殺す自由は反抗の準則とは相容れない。
反抗とは全的自由の請求などではない。
反対に、反抗は全的自由をこそ審問している。
反抗はまさに無制限の権力に異議を申し立てる。
それは無制限の自由がある優越者に禁じられた境界線の侵犯を許すからである。
包括的な自由を請求するどころか、人間存在があるところはどこであれ、
自由にはそれなりの限界があること、
限界こそがこの存在の反抗の力そのものだ
ということが認められることを反抗は望んでいるのである。」

「私の自由」の極限的な発現とは、「他者の自由」の全的否定、すなわち殺人である。

だとすれば、人間の自由に境界線があるとすれば、
それは「殺してはならない」という「限界」に他ならない。
自由の限界はまさに「汝、殺す勿れ」という「戒律」のかたちをとって到来するのである。

この戒律は、いままさに殺されようとしている人間の、
それでも「殺そうとしている私」を見つめ返すまなざしから、
「自らを放棄せぬもの、身を委ねぬもの、私を直視し返すもの」のまなざしから、
訴えとして、祈願として、命令として、私に到来するのである。

「上位審級」なしになおかつ行動しうるための準則があるか、
とカミュは自らに問うた。この問いに彼はとりあえず次のような答えを得たことになる。

【on_Flickr】0220_LA→PETALUMA