
金満里ソロ公演『寿ぎの宇宙』東京公演@日暮里d−倉庫
3日間それぞれが3様の「死者も生者も共にあるということを現代社会に映し出す、魂の集い」であったと。
舞踊評論家貫成人(ぬきしげと)さんのコトバが響く。
…「多様性」というときに念頭におかれるのは、男性優位社会で抑圧されていた女性やLGBT。
欧米中心主義が排除していた「アジア」「アフリカ」、そして「障碍者」だ。
だが、多様性を尊重し、既存の秩序を「外国人」など「異物」に「解放」しようと叫ぶひとびとは、
「標準」とされる自分たちこそ、「異物」とされる存在からみると異物であることを忘れている…。
世を覆い尽くすロゴスの呪縛。コトバ本位、人間本位の社会形成にあって、
その主観原理から易々と跳躍するピシュスの世界。
劇団態変が目指しているのは、そのようなパラダイムシフトだと。
〈合理性〉や〈科学的〉と称される思弁的理屈から大きく隔たったところに【実在】するピシュスの世界。
そのただ在ることにとことん向き合った金さんの、身体ひとつですべてを揺るがす渾身の「祈り」であった。
7体のかつてのパフォーマーたちを舞台上に並べ、その死と共に今が在ることを宣言し、
命とは…実在とは…ただそこに有る×無しの生温いものではなく、
常に崩壊へ、無秩序へ、と転がり落ちる危うい均衡の中、
ひたすらにその1点で屹立する…エントロピーの増大に抗い続けることで
成立する希有なものであること。
→それは「健常者」に脅かされ続ける「障碍者」の金さんだからこそ、
起ち上がる「祈り」であったと、思う。
我々はあまりにも盲目で聾唖な【存在】であったことか。
【存在】とは、ロゴスの上でのみ成立するモノのこと。
【実在】とは、身ひとつで世界と拮抗しうる生身のこと。
コトバの鎧に身を固め、剥き出しの命からどんどん遠ざかり、
ロゴスで構築された人間社会の中でのみ生きることができる存在。
そのような呪縛に気づきを与え、命そのものから出発する。
【存在】から【実在】へ。
311、相模原の警鐘をしっかり受け止め、
個として屹立すれば社会全体のパラダイムも動き出す。
そのような問題意識がこの3日間で少しでも伝播すれば良いのだけれど。
シフトへの道程は、まだまだ始まったばかり。
しかし、確実に兆しは見えていると、ボクは信じたい。