
【on_Flickr】JORDAN_2015
【on_Flickr】0920_JORDAN
ですから、カトリックの告解制度というもの。
あれは恐ろしい制度だと、私思うんです。
人の内面を暴き出して、人を支配していくってことですから。
イスラームでは罪を犯してもできるだけ人には言いません。
あくまでも神と自分との関係とする。
それに対して、キリスト教は人の心を他人が知ることが出来て、
支配することもできると考える。
内面にフォーカスするキリスト教というのは、
一神教としてはもしかすると例外的なかたちなのかも知れませんね。
神と人間との距離が近くて、人間の内面の言葉を聞き取って貰えるわけですから。
ユダヤ教の場合、神と人間との距離はある意味絶望的に遠い。
戒律にしても、どうしてこんな戒律があるのか、説明がつかない。
むしろ人間の世界の実用性や合理性に基づいて戒律の適否や意味を論じてはならないということを
叩き込むために戒律はあるんじゃないかと思うんです。
キリスト教だと、戒律の採否は人間の側に決定権が委ねられる。
それだけ律法の制定者と信者の間の距離は近いということなんでしょうね。
(内田樹×中田考「一神教と国家」より)