
立ツ鳥会議「ゆうちゃんの年」@阿佐ヶ谷シアターシャイン
「その年に生まれた子はみな、『ゆうちゃん』と名付けられたんです」
見渡せば、同じ名前ばかりの同い年。
だからずっと一緒に生きてきたけど
それも長くは続かないらしい。
幻の自転車が町にあふれ出す頃
忘れていた思い出が、雨の向こうからやってくる。
結婚の夢、遠くの真実、世代を作る誰かの手。
これは馬鹿馬鹿しくもほろ苦い、少し繋がりすぎてしまった人たちの話。
「下の名前で呼び合いたかったね、私たち」
劇中のフィクションかと思いきや、
実際に「ゆう」という名前で集まる「ゆうの会」が存在していて、
「ゆうちゃんの年」がいきなりリアルな様相を帯びてきた。
「ゆう」が好きなものは「ゆう」みんなが好き、
「ゆう」がキライなものは「ゆう」みんながキライ…という、
日本人ならではの「空気を読む」同調圧力。
だから「ゆう」以外の人とはコミュニケーション取れないって、
フィクションにしても有り得る現実…だから、怖い。
増して「ゆう」の名前でつながろう…という集まりが実際にあるのだから。
「みんないっしょ」がどうして、そこまで安心なのだろう。彼らの意図はわからないけど。