
自分もふくめ、大多数の「反戦・護憲平和主義者」という立場は、
基本的にはなんの義務も負わず、しかも心理的には他者より高みにいられる
非常に都合のいいポジションなのです。
しかし、現実の歴史的事実に基づいていないから、やはり戦後の日本社会で、
きちんとした政治勢力には成り得なかった…ということになります。
(日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか?_矢部宏治著)
とてもドキリとする言葉である。
しかし、この指摘に向き合わなければ、戦後70年の清算は今後も完遂されず、
結果として望むべきもない右傾化へとどんどん歩を進めてしまう…という
脳天を強打するような「気づき」を、この2冊は与えてくれた。
つまり、共産党をベースとする「反戦・護憲」思想というのは、
憲法九条を礎とする【リフレクト思想】であり、
戦後70年間の政府与党が築いてきた日米安保を主軸とする大国隷属の、
経済一辺倒路線に対する「アンチテーゼ」以上の思想を提示したものではなかった。
問題の本質には結局、全然踏み込めていない。
戦後70年の米国追従の歩みとは、実は1868年の明治維新で引き起こされたパラダイムシフトから
連綿と続く【長州藩=天皇】体制の成れの果てだということ。
この150年間、一度たりとも、この体制を転覆させることができなかった故に、
今、わたしたちはここまで来てしまった…という事実。
第二次安倍政権が強行に押し進めている諸々の右傾化への歩みの源泉は、
突き詰めれば、吉田松陰の松下村塾出身者の高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文ら
明治政府黎明期の面々が犯してきた歴史を正統化するための、世代をまたいだプロジェクトに他ならない。
全国にあまたある神社仏閣を分離統合し、天照大御神を始祖とする天皇教をでっち上げ、
地域に根ざした信仰をそのまま天皇を頂点とする信仰にすり替えることで、天皇の権力を絶対化。
その権力の傘を利用することで、国民を国力強化に統べり、帝国化へと邁進、大東亜構想を打ち立て、
台湾・韓国・満州を次々と植民地化する。そのコトの始まりが、琉球国併合による沖縄植民地化なのである。
あれから_150年。
琉球王国は一度たりとも、自国の幸福を得られていない。
いわば沖縄の歴史、沖縄の屈してきた辱めの150年がそのまま、
日本国政府→明治のあたまから続く天皇制の傘の下で仰け反っている【長州藩=天皇】体制の本性だと言える。
琉球は日本によって幾度となく「捨て石」としての役割を負わされていました。
それにも関わらず、琉球人は自らの犠牲がいつか報われるだろうという
日本への根拠なき信頼感と帰属意識を持ち続けていました。
そうした琉球人の姿は、あまりにも純朴かつ健気であるように見えるかもしれません。
しかし、琉球人を自らと同じ日本人としか認識していない多くの日本人の中で、
まさにその同じ日本人だとする琉球人が強いられてきた負の歴史的現実を理解している人が、
いったいどれだけいるのでしょうか?
(琉球独立論_松島泰勝著)
琉球王国は、明治政府による強制処分以前、600年以上の歴史を誇る純然たる国家であった。
琉球は「沖縄」と名を変えてから150年、常に日本国政府の犠牲となったきたのだ。
その最たる証拠が、天皇による沖縄メッセージである。
1947年、09/19天皇の顧問寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを
私(シーボルト:マッカーサーの政治顧問)に伝える目的で、日時を約束した上で訪ねてきた。
寺崎氏は、アメリカが沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するように天皇が希望していると、明言した。
天皇の見解では、そのような占領はアメリカのためになり、また日本にも保護を与えることとなる。
(略)
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島々)に対するアメリカの軍事占領は、
日本に主権を残したままでの長期リース_25年ないし50年、あるいはそれ以上_という
フィクションに基づくべきだと考えている。
天皇によると、このような占領方法は、
アメリカが琉球諸島に対して永続的な野心を持たないことを日本国民に納得させるだろう。
(日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか?_矢部宏治著)
明治から始まる【長州藩=天皇】の権力構造は敗戦によって転覆の危機を迎える。
天皇自身、己のポジション崩壊(=処刑)の危惧を抱いていたことは近衞文麿の上奏文からも伺い知ることができる。
「残念ながら敗戦はもはや避けられません。(略)しかし敗戦は大きな痛手ですが、アメリカ、イギリスの世論は、
いまのところ天皇制を廃止せよというところまでは至っておりません。従って敗戦だけなら、
天皇制の維持についてはそれほど心配する必要はないと考えます。心配すべきは敗戦よりも、
それに伴って起こる共産革命です。」
「私が考えるところ、我が国のの内外の情勢は、いまは共産革命に向かって
急速に進行しつつあります。国外ではソ連が異常な膨張をつづけています。(略)
そのソ連は最終的には世界を共産主義化しようと考えていることはあきらかです。」
「一方国内では、共産主義革命が達成されるすべての条件が、日々、整いつつあります。(略)
なかでも特に憂慮すべきは、軍部の中の特定グループによる革新運動です。年若い軍人たちの多くは、
我が国の天皇制と共産主義は両立すると考えているようで(略)皇族方のなかにも
そうしたことに耳を傾けられる方がいると伝え聞いております。」
(日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか?_矢部宏治著)
【ドミノ理論】国務長官ジョン・フォスター・ダレスが使った共産革命を畏れた言葉。
ひとつの革命がドミノのごとく連鎖を産む…として、その芽を徹底的に潰した。
この【ドミノ理論】を持ち出すべくもなく、資本主義の本質は「ノンインテグリティ(Non-Integrty)=日和見主義」であり、
硬質な思想に裏打ちされた「共産主義」や「イスラム圏」に対しては強烈な拒否反応を示す。それも嫌悪に近い。
思想による洗脳が信仰となり、【長州藩→天皇】体制を転覆させる勢力と成り得るからだ。
自分たちの改革も結局のところ信仰をベースにした大衆勢力の洗脳にあったからだろう。
大衆を取り込むこと、大多数を味方につけることが政治の方法論となってしまった。
まつりごとが、戦術主体のテクニカルな要素で大半を占めてしまった時点から、根本が狂いはじめた。
日本は、世界を知った1868年以後、世界に追いつき追い越せのスローガンに邁進してきた。
そのコンプレックスたるや、尋常ではなかった。(司馬遼太郎の世界観)
しかし1945年、その浮き足立った試みは、完全に潰えたはずであった。
日本はこのとき、全てを清算し、足元をみつめ、己とは何たるかを、沈思することから始めるべきであった。
だが、ノンインテグリティがゆえの生存能力とも言うべきか、
天皇制を傘にした長州勢力は、今度はアメリカ大国というより強靱な権力に寄生し、
己のポジションを大国隷属によって確保する手段に出たのだった。
しかも、天皇みずからがその保身を賭け、アメリカに懇願する…という、
マッカーサー元帥からダレス国務長官へ、米国軍から国務省への鞍替えもモノともせず…である。
なんという浅薄な振る舞いであろう。
その動きにただただ追従してきたのが、われわれ大衆ではなかったか。
もういい加減、自覚したほうがいい。
明治維新からの150年の歩みを再検証し、現政権のルーツを洗うこと。
タブーとされている天皇制の成立を疑うこと。
その行為が、結局は【新生ニッポン】への早道だと、ボクは思う。
タブーとは、アンタッチャブルへの予防線であり、そこにこそ、真実が隠されているからだ。
ちなみに今のニッポンの経済界の一翼を担う日立・東芝・日産は、長州出身の藤田伝三郎がルーツ。
彼の東京別邸が今の椿山荘である。泉岳寺は長州藩の菩提寺。
今の日本を賑わしているモノは、長州に源泉があると見ていい。