【Nov_01】五七桐


迎賓館赤坂離宮の入り口に輝く「五七桐」。

結局、この国の権力は、豊臣秀吉、徳川家康の時代から、
明治政府を経て、大東亜戦争を間にはさみ、敗戦の恥辱を味わうも、
その後68年経った今も、400年以上変わらぬまま続いてきたのだ…と、愕然となった。

権力サイドの人間は、この400年、一度も苦汁をなめずに連綿と生きてきた…のが、この国の実体なのだ。

つまり、一度も「革命」は起きなかった。

被権力サイドの人間は、もはや抑圧されることになんの疑問も持たなくなってしまった。

  前者について屡々提出される疑問とは、8月15日の終戦が立憲君主の制約を超えたいわゆる聖断によって決定されたとすれば、
  遡ってなぜ12月8日にも天皇は戦争回避の決定をなさなかったのかというものである。
  これは素朴ながらも打ち消しがたい疑問であり、したがって天皇に責任なしとする論者がいかに雄弁に論証を重ねようとも、
  結局ぬぐい去ることのできない黒点として残っている。
  さらに、この疑問の底には、いかに天皇が立憲君主制の枠内に留まり、機関説的であったにせよ、
  道義的責任はないのか…という疑念を潜在させている。この点で、前者、天皇の戦争責任否定論はあまりにも政治的であり、
  人々の抱く道義的感情を満足させることはできない。なぜならあらゆる論証以前に、多くの人をとらえる一つの実感があった。
 
  それは、日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいったからである。前者の論理一切はここにおいて崩れ去る。

                                            (「日本人」の戦争 河原宏著)

“日本人はただ天皇の名の下においてのみ闘い、かつ死んでいった”

このような恥辱陵辱を受けながらも、現在の安倍政権は4月28日を「主権回復の日」として、「天皇陛下萬歳!」と諸手を挙げて三唱した。
400年前から今まで、一度たりとも権力被権力の構図構造が変わらなかったことをこの事実は露呈している。
この国は、権力に溺れ驕り高ぶったヤカラの末裔が、いまも厚顔無恥にふんぞり返っている国なのだ。

  『すべての真の歴史は現代史である』 by イタリアの歴史哲学者 ベネデット・クローチェ

  人間は現代を生きるために過去を観る。すべて歴史は現代人が現代の眼で過去をみて書いた現代の反映物だから、 
  すべての歴史は現代史の一部といえる。歴史はその時代の精神を表現したもの、生きる人間のものではないか。

                                          (11/09朝日新聞 磯田道史の備える歴史学より)

ボクが震災以降執拗に日本の歴史を繙いているのは、結局のところ、この言葉に集約される。
『すべての真の歴史は現代史である』
…天皇の歴史も、敗戦後のねじれた日本の歴史も、すべては現代の権力者たちにとって都合よく描かれた
現代史でしかないのだ。我々が学んできた日本の歴史とは、この400年間、一面的に描かれてきた贋物なのだ。

そのことをしかと肝に銘じていただきたい。

紀州徳川家から譲り受けた土地に、鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルが建てた、究極の模倣建築“迎賓館赤坂離宮”。
こんなものを有り難く参拝している多くの日本人の気が知れない。
我々に「革命」は無縁なのか?
我々は今後も未来永劫、この欺瞞に溢れた恥辱陵辱権力体系を下支えしていくのだろうか?

  (天皇は)既に最悪の時の御決心がある様拝察し奉る。
   それで、申すのも畏れ多いが、その際は単に御退位ばかりでなく、
   仁和寺或いは大覚寺に御入り被遊ばれ、戦没将兵の英霊を供養被遊ばれるのも一法だと思ってゐる。
   僕も勿論其の時は御供する。

1945年1月6日、敗戦を予期し、細川護貞に近衛文麿が語った内容。(「日本人」の戦争…より)

これはつまり、敗戦後の天皇の責任の取り方を道義的に文麿が検討した話である。
敗戦後、裕仁が頭を丸めて仏門に入っていれば、今のような欺瞞国家にはなり得なかったのではないか。

『すべての真の歴史は現代史である』

この国が根本的に間違っているのは、連綿と権力サイドが引き継がれている…この一点にある。