【Jun_29】熊野・被差別ブルース


中上健次を、同じ部落に育った田畑稔氏との関係から語った名著。

被差別部落…関西に根深い「同和解体」の歴史と共に
健次がこだわった「路地」とはなにか…を、
健次のいとこである「田畑稔」氏の生き様を通して、見つめる。

差別を「無きモノ」にしようと戦後動き出した「同和解体」。
健次が育った新宮市春日地区も、総予算20億もの費用を投じて解体された。
1977年のことだ。

春日地区は、臥龍山という龍が横たわったような里山に抱かれて存在した。
しかし、その工事で里山は見事に更地になった。
20億円かけてひと山削った…それが部落を解体するということだった。

そして、山そのものを「無きモノ」にすべく幹線道路をかつての尾根伝いに引き、
その沿道に新宮市役所を新たに建てた。
被差別の淀みが、クルマの往来で時間とともに抹消されていった。
…見事なまでの隠蔽対策である。

健次のいとこにあたる「田畑稔」氏は、「同和解体」を逆手にとって、たくましく生きた。

繁盛している焼き肉屋の近所で焼き肉屋を開業し、ホルモン焼きで大繁盛。
3千万で900坪の山を一つ買い、400に区分けして墓地として売った。

「同和解体」の事業につけこんで、砂利手配の事業を興した。
赤木川の上流域をひたすら採掘し、護岸堤防そのものを無くすほどの環境破壊をした。

同和対策の貸付枠を巧妙に用いて市から3億もの金を借り、自前のソーセージ工場でもって、
食肉処理場で余った牛・豚のクズ肉を活用しようとした。…だが、これは大失敗だった。

屠殺、墓地販売、解体事業、産廃事業、屎尿処理業。
生と死の境界を巧みに見極め、あざとく商売に転化した。

それもこれも被差別という立場で生きたゆえ。
辺境で生きる知恵…とでも言おうか。

著者は沖縄を引き合いに出し、熊野の土地と相似形であると書く。

 「田畑に学ぶべきは、くじけない心であろう。生命力と言い換えてもいい。バイアスがかかるほど、反発のバネが働く。
  熊野と沖縄は相似形に映る。田畑の起伏に富む軌跡は、アララガマ精神そのものではないか。
  アララガマとは、宮古島の方言で「なにくそ」の意だ。熊野は、廃藩置県により本来ひとつであるべき牟婁四郡が
  和歌山県と三重県に分断された。廃仏毀釈で多くの寺院・修験道の堂宇が破却され、大逆事件では郷土の誉れ高い人々が
  国家によって惨殺された。中央政府によって、理不尽な扱いをされてきた点では同類だ。
  熊野も沖縄も、明治維新以来、良い目にあったことに乏しい土地である」

 「まことに差別の問題は、ややこしい。ひとより優越した存在でありたい。この意識が根源的な〈生存の本能〉に根ざしているからだろうか。
  古来、死者をホフル(葬る)のも、カミや霊をハフル(祝る)のも、畜獣をホフル(屠る)のも同義である。
  これらは異界と現世をつなぐ行為であり、その接点に立つ者は畏怖の対象だった。畏怖は差別ときわめて近似の感情である」

 「宮古島の人々は、沖縄本島の人々に搾取されつづけた。琉球王朝による人頭税が、その一例だ。民俗学者・谷川健一はこう指摘する。
  〈首里城が沖縄のシンボルなんて、とんでもないことでしょう。宮古・八重山諸島の人々にとって、首里城こそ、代々の祖先をソテツ地獄
   (ソテツの実で飢えを凌ぐ飢餓生活)に追い込んできた圧政の象徴そのもの〉という。
  二千円札に描かれている守礼の門は、苦々しく唾棄すべき対象なのだ」

平準化・均質化する社会の中で、差別も【無きモノ】へ葬り去られようとしている。
過去を過去とし、忘れ去ることは簡単だ。しかし、そのことによって人間の本質も隠蔽しようとしていないか?
【ひとより優越した存在でありたい】…この〈生存の本能〉と呼ばれるところから、人間の歴史は逃れることができない。
形骸化した「天皇制」もまさしくこの本能から派生した制度であり、「貴が在るところ、賤あり」の現実なのだ。
その本質を見つめずして「天皇制」を語ることは、敗戦を見つめずして「改憲」を語るに等しい。

この問題は、表裏一体である。