
12月1日、水曜日。今日から師走スタート。
慌ただしく年末へ町も人も動き出す。
こちらも雲南以降、
写真という表現媒体を見つめる毎日。
…研ぎ澄まされていく。
なので言葉を紡いで表現するblogからは
どうやら今後遠のいていくような気配。
いずれにしても
時々UPするようにはします。
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雲南の写真群は今再構築の真っ最中。
どのようなカタチでの発表がよいのか、
点数は何点で、展示はどのように…
そんなことを毎日考えている。
雲南の旅の中で、とりわけ興味深かったのは
大理の白族(ペー族)や大回村の回族(ホイ族)。
特に回族の街並は、あの雑多な中国には程遠く、質素でいて清廉。
ボクたちが訪ねた時、道端に人々の影はなく、
静かにコーランを朗読する声が響き渡っていた。
小さい村とはいえ、これだけの人間を抱える中国とは思えない、その静謐さ。
何とも言えない穏やかな気持ちになり、
ボクたちは人の居ないモスクのベンチでしばし午睡をした。
今思っても、あの時のうたた寝は、至福の時だった。
イスラム。
その全貌を把握するのは、まだまだ時間のかかる作業だけど、
お金を中心にすえた社会が揺らぎ始めている現代に、
イスラムという目線はとても貴重なんだと思いたい。
「ラマダンはご飯が食べられない貧しい人たちの
気持ちを理解するための一ヶ月です。
一日中何も口にしない、水も飲まない、食糧が目の前にあったとしても
我慢することが、どれだけ大変なのか。
それを身を以て実感するという大切な期間だ。
この期間に人間が一番神様に近づけると言われている。
この厳しい試練を見事に通過できた人に神様からご褒美が与えられる。
良いことが何十倍にもなって記録され、同じく悪いことも何十倍かにされてしまう。
とっても大切な期間なのだ」(「白い紙」シリン・ネザマフィ著)
神様に近づけるかどうかはよくわからないけど、
社会の制度として、ラマダンという断食期間が設けられていることを
もう少し真摯に受け止めるべきだと、ボクは感じる。
それは「身の丈を知る」ことへのプロセスなのだろうか?
世界は広い。