【1_WALL】公開最終審査


10月01日。金曜日。
映画の日、そして都民の日。

朝から「アリエッティ」を観てむせび泣く。
足るを知る…借りぐらしのメッセージに、
駿の偉大さを改めて感じた。

照葉樹林文化論といい、映画に込められた
ジブリのメッセージといい、
なんといっても完成度の高さといい、
日本の未来は明るい!と
単純に思った次第。

これだけの影響力をもって
子供たちにすり込まれたハヤオ節、
きっとイイ方向に向くはず。

日本社会のOSを総取っ替えしてくれるはず。
(OSってパソコンのオペレーションシステムね)

      ●

夜、ガーディアンガーデンで行われている
1_WALL」展の公開最終審査へ足を運ぶ。

東京へ来て、こういったイベントに
足を運べる環境なんだから…と、
物見遊山なノリで会場へ行ってみたのだけど、

正直、現代を牽引する「写真」の文脈そのものにも興味があったし、
自分の感性がその文脈と比べてどれだけズレたモノになっているのか…
みたいな自虐的な要素もあったのだけど、

会場へ入ってみると、埋め尽くす若者たち。
チャラ男チャラ女が目立つ目立つ。
審査中もバチバチとデジカメをFLASH焚いて撮りまくってたりして、
なんだか浮かれポンチだなあ…とおじさんな感想を抱いたりして、

そんでもってファイナリスト6人の写真が
どれもこれもパーソナルな殻に閉じこもった
内省的な写真ばかりで、やはりなあ、文脈違うな…と、
これまた突き放したような気持ちになったのだけど、

審査員の鈴木理策さんや町口覚さん、金村修さんが意外や意外、
けっこうまともなコメントを(ボクの文脈にあった)云っていて、

実際の写真展示を見てみたら、
感性に訴えかけている写真がやはりグランプリだな…
などと、悦に入った次第。

プレゼンテーションでいくら御託並べても、
肝心の写真表現で伝わるモノがなかったら、
やはり評価されないよねえ…と、その当たり前のことを
今回の公開最終審査で確認できて、とても良かった。

人間の感性、捨てたモンじゃない。

それにしても、ファイナリスト6人の写真、
対象が全員モノや光景。人間を撮っている人がいなくて、残念。

その中でもグランプリを獲った金瑞姫さんの写真だけ唯一、
他人の気配が映っていて、窓から差し込む光に未来を感じた。

そうそう。過去との関係性から写真は表出されるけれども、
未来へメッセージが残らなければ、意味がないのよね。