
5月6日。連休明けの木曜日。
晴天続きで浮かれ通しのGWも終わり、
「蒸し暑さ」の不快さまで加わった今日の朝は、
東京移住6ヶ月間で一番の高気温を記録したんじゃないか…
と、
よくわからない喜びを噛みしめて神宮前まで来てみたら、
思春期の少年よろしく銀杏並木がモクモクと枝葉を伸ばしていて、
体毛の伸びる早さにとまどって頬を赤らめている…
…親のような居心地の悪さを、勝手に感じた。
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水銀が沈んだ日/田村隆一
追いつめられた鹿は断崖から落ちる
だが 人間が断崖から落ちるためには
一篇の詩が必要だ
寒暖計の水銀が沈んだ日
ニューヨークのイースト・ヴィレッジにある
安アパートをぼくは訪ねて行った
階下は小さな印刷屋と法律事務所
詩人の部屋はその二階だが
タイプライターと楽譜が散らぼっているだけさ
むろん 詩人の仕事部屋なんか
昔から相場がきまっている 画家や
彫刻家のアトリエなら 形の生成と消滅の
秘密をすこしは嗅ぐこともできるけれど
ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから
部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と
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昨日は青山ブックセンターで行われた
大森克己「Bonjour!」発売記念イベントに参加。
計6時間に及ぶトークセッション!
「今日は本音をばらまける。すべてをぶちまける!」と息巻いていた大森氏。
たしかに大森克己三部作の撮影秘話満載で、
「なぜ16カットに収まったのか?」「なぜこのインターバルで3冊なのか?」「なぜウサギなのか?」
…といった素朴な疑問をひとつひとつ繙いて行くカタチで、とても興味深かったのだけど、
なんといっても圧巻は残り15分で登場した
リトルモア社長孫家邦氏だった。
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「この国は今モーレツに最悪ですよ」
そう切り出した孫さん。
「ここまでアメリカの手下を露呈した首相はいない」
…と、沖縄基地問題を批判。
「この国をどうにかせにゃならん!」
…と、2ヶ月前まで臨戦態勢だったらしいのだけれど、
「肩肘はって無理しても、底が知れることがわかった」
…と、ひるがえり、
「達観した。地道に作品を発表することこそが大事」
…と、クリエイティブこそが世界を救うと断言。
その中で特に氏が力説していたのは、
「ストーリーを語るな、物語を語れ!」ということ。
ストーリーってのは「小さな説=小説」的思考で出来上がったもの。
物語ってのは、「重層的に拡がる、ストーリーの総和」つまりポリフォニックな同時代的展開のこと。
ここからはボクの解釈だけど、
「今」という時代をいかに取り込み、表現するか…ということなんじゃないか?
孫さんは、おそらく「小説」という表現形式自体を否定していたように思うんだけど、
村上春樹のようなものがミリオンで売れて、いったい時代が変わったか?…と。
こんな「ヘンテコリンな時代」にしたのは、
他でもないハルキストたちじゃないのか…と。
内に向かって自己の内面ばかりに興味を示し、
自分を取り巻く世界を変えよう!とする虚勢をあざ笑った。
「世界なんて自分の手で変えられるものじゃない」
そんな諦観を植え付けたのは、他ならぬ村上春樹じゃないのか?…と。
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孫さんはここまで具体的なことは言ってなかったが、
「物語を語れ!」とは、時代の空気を読め!ということなのではないか。
トークの中心となった田村氏のセンテンスも、「断崖から飛び降りる覚悟」。
大森さんが写真家の高木こずえさんに対して
「人にまみれているなぁ…」と言ったことにもつながるのだけど、
その重層的な時代の振る舞いに対して、自分なりの言葉を発信する…
その行為が尊いのであって、それが世界を変えるのだ。…と。
「ボクが世界を変えるのだ!」という大風呂敷を広げろ!
6時間に渡るトークイベントを通して彼らが発信したメッセージ。
ボクはそれにえらく共鳴したし、
ボクが東京に来た理由もまさしく「世界を語り、世界を変える」ために来たのであって、
その共振こそが求めていたことだ!とあらためて武者震いがして、うれしかった。
雨だれが岩を穿つように、間断なく発することこそが、表現者に求められていることだ…と。