【JAPAN】YASUKUNI


話題のYASUKUNIを観に行く。

「抗日感情」が入った似非ドキュメンタリーだとか、
「撮影許可」を得ずに構成されているとか、
様々な問題を孕んだ映画だ。

確かに90歳の刀鍛冶職人刈谷直治氏が
映画の主題となるような編集になっている辺りは
本人もびっくりしているだろう…と思うが、

こういった目線が
日本人から描かれてこなかったことが
とても問題だと、ボクは思う。

戦争責任がうやむやなまま
現代にまで来てしまったから、
事態はややこしいことになっている。

終戦記念日における
熱狂的な参拝者の群衆を見てると、
「日本人」を意識するって
そんなちっぽけなことなの?
…と思ってしまう。

「戦後の日本人は明治維新以来約246万柱の英霊の犠牲の上に
 今現在があり、そのおかげで我々が生かされているという事実から目を背け、
 いまだ大東亜戦争で散華された英霊の名誉を回復できずにいる」

「侵略戦争だの防衛戦争だのと議論もいいが、祖国日本のため
 命の極限において戦った人を侵略者扱いするバカな国はこの日本以外にない!」

「一国の首相が、一政治家として、一国民として戦没者に対して
 感謝と敬意を捧げる。哀悼の念を持って靖国神社に参拝する。
 二度と戦争を起こしてはいけないという事が日本人からおかしいとかいけないとかいう批判が
 私はいまだに理解できません。まして、外国政府がそのような心の問題にまで
 介入して外交問題にしようとするその姿勢も理解できません。
 精神の自由、心の問題、これは誰も侵すことのできない憲法に保障されたものであります。」

これらの言動は、すべて一方的だ。
日本の側からしかモノを見ていない。

それは結局、戦争責任を明確にしてこなかったことに起因する。

ダッハウの強制収容所では
当時ドイツ人がおこなった行為をそのまま忠実に展示しよう…
…という誠実な姿勢が見て取れる。

靖国神社は、
その当時におこなわれた日本の行為を神格化し、
祀ることで責任を回避している。

なぜA級戦犯を合祀したのか。
なぜ戦争をおこなった人たちが犠牲者扱いなのか。
その目線からして、おかしい話だ。

そういった史実の捉え方のズレを
ズレと感じていない日本人が多いこと、
そのあたりが日本人の傲慢さを顕している。

「神風」思想。
「日出づる国、日本」。

どこの国よりも秀でている…といった優越感が
その底辺に流れていると思えて仕方がなかった。

「ちっちぇ」。