【永岡大輔】無意味の背中 その2


1月20日。水曜日。
4月上旬並の気温らしい。17度。
体感は少しあたたかい…ぐらいか。
4時起きの人間には、あまり変わらない。

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神楽坂へ、永岡大輔氏の個展へ足を運ぶ。

年末、サイトヲさんの紹介で知り合ったアーティスト。
山形出身ということで、勝手に親近感を持つ。

「こころヶ3号」という作家のブログが、
制作過程における実直な思いを吐露していて、さらに好感を持つ。

本人は居ないだろうな…と高を括って訪ねてみたら
ギャラリーに同時到着の奇遇も手伝って、ゆっくり話をすることが出来た。

話をすればするほど、
彼の中には、雄大な蔵王を象徴とする
山形の自然が源泉としてある。

11月にパリで開催した個展では、
「形見」をテーマに、倒木を炭にし、
そこから派生するイメージとして
ギャラリーの壁に大木をドローイング。

「生と死」を常に見つめ、
その境界線を行ったり来たり。

少年期に蔵王の山奥で
カモシカに見つめられた体験が、
自然を畏怖する作品につながったのだという。

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今回のテーマ「無意味の背中」も
パリにおける経験が作家を一歩前に押し出した。

  今回の展示で飛び込んだパリと言う街は
  何かすでに失われて広大な空虚になった上に張った薄い氷の上にある街で
  みんなそれを薄々感じながら目の前を見て生きている。。。
  そんな感じの所だった。
  だから、欲望に対して忠実だし、合理性が幅を利かせている。
  僕のような人間と違って
  はっきりとしたオンとオフが必要な理由も
  そこにあるんじゃないかなぁ。

  これが良い事かどうかはまだ解らない。
  ただ、人間にとって、
  一生何か大事なものから目を背けて生きるには
  あまりにその後に訪れる反動が大きすぎるんじゃなかろうか?
  我々はゆっくりと「信じる」と言う事を
  取り戻さねばならない。
  そんな気がした。

  故に
  意味と無意味のボーダーを自らが曖昧にする行為をもっとしなくては。。。
  とも思った。
    (永岡大輔ブログ「こころヶ3号」10月12日より)

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その真意はわからない。

しかし、巨大なヤモリ(夜守=夜の守り神)を鉛筆1本で執拗に描く姿勢や、
こちらを凝視するカモシカの角(ツノ)が森に変容するモチーフを見て、

作家は描くことで、人間世界に何かを取り戻そうと祈祷しているような印象を受ける。

パリで感じた違和(異和)感がそのまま、「ムイミ」を想起させ、
人間本位で測られる一面的な世界を表出することで、
そこに隠れたAnother Worldの存在を呈示しているような、気がした。

作品を創出する過程で生まれた
「紙の切れ端」や「消しゴムのカス」にも
作家は愛情をもって接する。

今回はその「紙の切れ端」を再編集して、新たな作品の道標とした。
その姿勢が何より、すべてを包含しようとする意志の顕れだと思った。

   「みんなちがって みんないい」

金子みすずの詩じゃないけど、
意味×無意味を超えた世界に挑もうとしている
永岡大輔の真摯な感性は今、ビンビンに振れている。