【Jun_23】われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない


「不条理劇」の基底となっているのは、この未済性の完結です。
物語や会話が未済のまま放置されている。
人間関係が未済のまま行き場を失っている状態。
未済のままだから、観る側の思考や感情もそこに留まり、
次の一歩を踏み出せない状態になる。

(『時間と自己』より木村敏)

「われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない」
と精神医学者の木村敏は説く。
人間は常に取り消しようのない事実としてこの世に生きており、
しかもこの存在の「成就」には遅れをとっている。
常に本来の自分に成り切ろうとして、果たせないでいる状態なのだ…と。

「われわれは未済だからこそ、われわれにとって選択と決断が保証され、
われわれにとって将来が可能になる。
将来という時間性は、われわれの存在の未済性が
前進の可能性を保証する限りにおいてのみ可能」なのだ。

未済ゆえの可能性の中で、我々は希望を持って生きる事が出来る。

本日は『慰霊の日』。

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【Jun_21】暴動は言葉を奪われた者たちの言葉


人種差別と収束しないコロナに対する怒りがトランプのアメリカを変え始めている。』ジャーナリスト北丸雄二氏

アメリカの人種差別問題を公民権法の時代から遡って、
現代の動きを再確認。奴隷として新大陸に渡ってきた黒人は
解放運動後も犯罪制度の中で奴隷同様の扱いをされてきた。
ジム・クロウ法によって使うトイレやバスも峻別された時代から、
JFKの手で公民権を与えられた後も、デトロイド暴動のように
軽微な犯罪によってしょっ引かれ、南部開発の労働者として強要、
いまだに最下層の労働と差別で、コロナ禍白人の3倍を超える死者数である。

「暴動」は言葉を奪われた者たちの言葉として発せられたもので、
【オレたちはココにいるんだ】という意思表示。
今回の動きがここまで長期化しているのも、
オバマ以降に肌色の隔てなく共に育ってきた
20代が中心となって立ち上がっているからで、
【友情】が社会変革を起こしている。
『誰が人間なのかのBORDER設定は、基本理屈ではなく、
〈誰が仲間なのか〉の生き方や育ち方によって決まる』のだ。

日本における同和、在日、障碍、LGBTQ、犯罪の差別に共通しているのは、
圧倒的に「同じ空間・同じ社会での接触」が極端に少ないことが原因の【友情】の欠落。
隔離政策が根本的に間違っていることへの証左である。
『仲間が蔑ろにされた…という感情の直截的な働きによってでしか差別は解消されない』との言葉は、
コロナ禍でますます内向きに閉じていく日本人には警鐘ですらあると思った。

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【Jun_19】聖と賤の環流するこの日本的自然


やはり中上健次は巨人だった。『紀州木の国・根の国物語』で中上は、
自ら「路地」と名付けた被差別部落を経巡り、「差別被差別」について自問するのだが、
出自にかかわることだけに抉られるような凄みがある。


青年は作業場の一等奥、物陰になり外から見えぬ場所であぐらをかき、
切り取ったまだ肉のついた馬の尻尾から、毛を抜いていた。
自分の肩ほどの長さの馬の尻尾である。
腐肉のにおいの中で青年は、台に一台小さなラジオを置き、手ばやく毛を抜きとりそろえている。
肉のついた尻尾はもちろん塩づけにしてはいるが、毛に何匹ものアブがたかっていもいる。衝撃的だった。

その衝撃は、言葉をかえてみれば、畏怖のようなものに近い。
霊異という言葉の中心にある、固い核に出喰わした、とも、
聖と賤の環流するこの日本的自然の、根っこに出喰わしたとも、言葉を並べ得る。
だがそれは衝撃の意味を充分に伝えない。
私は小説家である。事物をみてもほとんど小説に直結する装置をそなえた人間であるが、
一瞬にして、語られる物語、演じられる劇的な劇そのものを見、
そして物語や、劇からふきこぼれてしまう物があるのを見た。
それが正しい。つまり、小説と小説家の関係である。
若い青年が腐肉のにおいを相手にして仕事をしなくても、他に色々仕事はある、と思いもしたし、
物の実体、ここでは自動車洗いに使うハケや歯ぶらしという商品であるが、
その物、商品の実体は、みにくいとも思った。
人が、そのみにくい実体に顔をむけ、手を加え、商品という装いにしてやる。
いや、そこで抜いた馬の尻尾の毛が、白いものであるなら、バイオリンの弦(ゆんづる)になる。
バイオリンの弦は商品・物であると同時に、音楽をつくる。
音の本質、音の実体、それがこの臭気である。塩洗いしてつやのないその手ざわりである。
音はみにくい。音楽は臭気を体に吸い、ついた脂や塩のためにべたべたする毛に触る手の苦痛をふまえてある。
弦は、だが快楽を味わう女のように震え、快楽そのもののような音をたてる。
実際、洗い、脂を抜き、漂白した馬の尻尾の毛を張って耳元で指をはじくと、ヒュンヒュンと音をたてる。

(『紀州木の国・根の国物語』朝来より中上健次)


後半の記述の激しさたるや。みにくい実体が、
聖と賤の均衡を破ってふきこぼれてしまう物。
音はみにくい…とし、馬の尻尾の毛は、脂や塩のべたべたする苦痛とともに、
快楽そのもののようにヒュンヒュンと音をたてる…と。

穢れの中に浄化があり、過剰さこそがすべてを包摂しうる…とでも言うように。
「路地」を書き貫いた男の筆致は、どこまでも光明だと思った。

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【Jun_17】畏怖は差別ときわめて近似の感情である。


古来、死者をホフル(葬る)のも、
カミや霊をハフル(祝る)のも、
畜獣をホフル(屠る)のも同義である。
これらは異界と現世をつなぐ行為であり、
その接点に立つ者は畏怖の対象だった。
畏怖は差別ときわめて近似の感情である。

(『熊野・被差別ブルース』より和賀正樹)

日本の差別問題、同和の構造が少し見えた。
『同和』とは、1969年の同和立法において指定された行政用語であり、同和地区指定によって差別が顕在化した事実。
屠殺、皮革加工、清掃・ゴミ収集、解体・産廃事業、屎尿処理など、穢れ作業で生計を立ててきた被差別の人々は、
『同和』と名指しされ、ハコモノが立てられ(隣保館)、住宅があてがわれ(同和住宅)、福祉が受けられ、税が免除された。
結果、行政と解放同盟が結託し、同和事業と称して金が配られる。2002年までの33年間で15兆円もの国家予算が費やされた。
被差別を逆手に取ったシャブ漬け状態。「臭いものにはフタをしろ」的隠蔽工作によって、差別構造が複雑化しタブー化してしまった。

これは沖縄における基地問題とも相似形。
日米地位協定の不条理な植民地関係を隠蔽すべく、島嶼県沖縄にすべて押し込め、
利権構造を県内問題として矮小化し、隠蔽してしまう。

さらには、移民問題も然り。
人口減による人手不足を外国人労働者で補う際、『技能実習制度』というフィルターをかけ、
移民という扱いではなく『技能実習』という枠内で国内法の対象外とし、人権無視。
2年、3年というスパンで労働力を使い回す姿勢はナチスの強制収容所と何ら変わらない。
おまけに難民申請は超絶の狭き門で、不法滞在者の法外な長期間収容が常態化している。

明確に線引きをしない曖昧模糊とした日本のやり方は、
核心に触れることを畏れ、アンタッチャブル化で、結果、タブーの域に追いやられる。
そのため利権が固定化し、人々の無関心が助長され、構造だけが一人歩きしてしまう。
『同和』の問題も、『沖縄』の問題も、『移民』の問題も、いつまでも表層化することなく、
差別闇の中で、だらだらと時間ばかりが過ぎてゆくのだ。
【畏怖】とはよく言ったものだ。直視できないエクスキューズでしかないのに。

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1991年、部落差別の現在」(YouTube)

【Jun_13】端唄『縁かいな』塩原庭村


端唄『縁かいな』市丸

春の夕べの手枕に
しっぽりと降る軒の雨
濡れて綻ぶ山桜
花が取り持つ縁かいな

夏の納涼は両国の
出舟入舟屋形舟
揚る流星 星降り
玉屋が取り持つ縁かいな

秋の夜長のながながと
痴話が高じて背と背
晴れて差し込む れんじ窓
月が取り持つ縁かいな

冬の寒さに置き炬燵
屏風が恋の中立で
積もる話は寝て解ける
雪が取り持つ縁かいな

   『塩原庭村の邦楽サロン』@喫茶茶会記にて

さて、江戸時代後期の深川は、吉原と人気を二分するほどに栄えた花街でした。
人気の秘密は、吉原の太夫を凌ぐほどの「張りと意気地」。
洒落本『古契三娼』の中で、深川の遊女であったお仲さんが、次のように深川を自慢します。

「深川といふ所は、客人の遊びにでへぶ塩梅のある所さ。
色男に代えても金に代えても、子ども同士のたてひきをおもにする所さ」。
深川というところは、お客が遊ぶにも一筋縄ではいかないところ。
どんな男前に口説かれても大金を積まれても、女同士のプライドをかけた意地の張り合いは譲れない、
それが深川というところさ――

漁師や木場の職人をお客とし、自前=フリーで生きることが可能であったからこそ培われた芯の強さは、
土地ならではの魅力として江戸の人に愛されました。

また、豪華絢爛、まばゆいほどに飾り立てた吉原の太夫とは対照的に、
素顔の美しさを誇って白粉もつけず、地味なねずみ色や縞模様の着物をすっきりと着こなす装いも、
「粋」として好まれたようです。

本曲成立からさかのぼること数年、深川芸者の恋物語を描いた為永春水の人情本『春色梅児誉美』が
ベストセラーになり、深川の人気はさらに高まりました。
ところが、本曲成立からわずか2年後、水野忠邦による天保の改革によって岡場所はすべて取り払いとなり、
深川の隆盛は終わりを迎えます。

本曲は、深川がもっとも栄えていた頃の様子を写し取った曲でもあるのです。
(松永鉄九郎『長唄メモ』より)

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【Mar_22】オーバーフロー/ふりだしにもどる


ダンスユニット キニナルキ主催「キニナル”芽” vol.5 in Tokyo」@アトリエ第Q藝術

ゲストアーティスト/ 鹿又広祐

01.ド根性に咲く/仙台石巻ダンサーズ
02.陰と陽/椎野純、森山結貴
03.堀之内真平
04.なんだろねぇ/大前裕太郎
05.オーバーフロー/ふりだしにもどる

照明/早川誠司
音響/野木孝輔
宣伝美術/武田和佳

【on_Flickr】0321_KININARU-ME

『オーバーフロー』ふりだしにもどるのふたり。
あふれ出る感覚を秒針のカウントダウンに合わせることで、
突発的な情動として表現。
その突発性は少なからず震災への思いも含まれてると思った次第。

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【Mar_21】なんだろねぇ/大前裕太郎


ダンスユニット キニナルキ主催「キニナル”芽” vol.5 in Tokyo」@アトリエ第Q藝術

ゲストアーティスト/ 鹿又広祐

01.ド根性に咲く/仙台石巻ダンサーズ
02.陰と陽/椎野純、森山結貴
03.堀之内真平
04.なんだろねぇ/大前裕太郎
05.オーバーフロー/ふりだしにもどる

照明/早川誠司
音響/野木孝輔
宣伝美術/武田和佳

【on_Flickr】0321_KININARU-ME

『なんだろねぇ』裕太郎くんの着眼点、サイコー。
エイドリアンさんの存在との対比が際立っていて、
アタマでの理解を超えた身体的な世界の受容を
全肯定的に物語っていて、傑作でした。

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【Mar_21】無題/堀之内真平


ダンスユニット キニナルキ主催「キニナル”芽” vol.5 in Tokyo」@アトリエ第Q藝術

ゲストアーティスト/ 鹿又広祐

01.ド根性に咲く/仙台石巻ダンサーズ
02.陰と陽/椎野純、森山結貴
03.堀之内真平
04.なんだろねぇ/大前裕太郎
05.オーバーフロー/ふりだしにもどる

照明/早川誠司
音響/野木孝輔
宣伝美術/武田和佳

【on_Flickr】0321_KININARU-ME

堀之内真平さん。
その場を凍らせる緊張感、素晴らしかった。
何が起こるか分からない状況に、観客の気持ちを引き留め続けるのは、かなりのワザ。
身を賭したパフォーマンスでした。

#photobybozzo

【Mar_21】ド根性に咲く/仙台石巻ダンサーズ


ダンスユニット キニナルキ主催「キニナル”芽” vol.5 in Tokyo」@アトリエ第Q藝術

ゲストアーティスト/ 鹿又広祐

01.ド根性に咲く/仙台石巻ダンサーズ
02.陰と陽/椎野純、森山結貴
03.堀之内真平
04.なんだろねぇ/大前裕太郎
05.オーバーフロー/ふりだしにもどる

照明/早川誠司
音響/野木孝輔
宣伝美術/武田和佳

【on_Flickr】0321_KININARU-ME

今考えても、綱渡りな公演でしたねえ。
仙台から多数のダンサーが移動してきたんですから。
ラッキーでした。

#photobybozzo