【Mar_30】ゆびさきの半景、いよいよ楽日


いよいよ楽日〜!サカサマナコ「ゆびさきの半景」@西荻窪がざびぃ

「あのときから10年の間。毎日を繰り返しながら階層をのぼっていくにつれて、
たまぁに意地悪な大人に出会ったり、あー世界は思ってたより理不尽なんだなーって感じたり、
もうそんなことを感じることさえ忘れてしまったり、きっとこれからもこうやって、
くさくさしちゃう毎日の方が多いんだろうなって思って、ちょっぴり絶望したりします。」
(脚本・演出担当シィーコのコトバ)

でも、

「いくつになっても、好きなものを作れる、帰ってこられる場」
(音楽・音響担当ハルちゃんのコトバ)として、
サカサマナコを振り返り、出来たのが「ゆびさきの半景」。

それは、

「何十年後かにこの物語を思い出した時に、今の温度を思い出せるように」
(美術担当ヤマモトくんのコトバ)と、
5人の女の子たちの心のつながりを封じ込めた作品。

サカサマナコの3人自身が、いくつになっても戻ってこられるような拠り所として、
役者と共同作業で創り上げた物語です。
会場となる「がざびぃ」に入った瞬間、そんな心のぬくもりが伝わってきます。

この先、どんな試練が待ち構えているのか、誰も想像つきませんけど、
「ゆぎさきの半景」に戻ればいつでも、きっと立ち直られる。

そんなやさしくも芯の通った出来映えです。

あと2回の公演。慈しむような時間を体感してください〜!

【Apr_01】リップヴァンウィンクルの花嫁


リップヴァンウィンクルの花嫁

岩井俊二監督久々の邦画。映像を担当していた篠田昇さんが最後に録った『花とアリス』以来だから、12年ぶりか。
本編が始まる前に様々な映画の予告編が流れて、どれもこれもが紋切り型のドラマティックな仕立てで、
観る者に「映画」を強要するようなモノばかりだったのだけど、少なくとも『リップヴァン』は余白やのりしろが多く、
多様な視点を与える…という意味でも、とても優れた作品だと思う。

「リップ・ヴァン・ウィンクル」とは、アメリカ版の「浦島太郎」という意味らしく、
「時代遅れの」「時代錯誤の」といったニュアンスが含まれるコトバ。

その『リップ・ヴァン・ウィンクル』が劇中で異彩を放つCoccoの役どころだ。
Coccoの存在を知ってから戯曲を書き下ろした…というから、まさに当て書き。
この映画はCoccoナシには全然成立しない。そのくらい強い存在感で、映画の核となるメッセージを残す。

劇中Cocco演じる「真白」が、Jazz喫茶ばりの店で歌う荒井由美の「何もなかったように」の歌詞が、全てを語っている。

  人は失くしたものを胸に美しく刻めるから
  いつも いつも
  何もなかったように 明日をむかえる

黒木華演じる「七海」が、ウソに塗り固められた世の中に翻弄され傷つく中で、

  この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ…と、うそぶく。

コンビニの店員が、こんな自分のために、買ったモノを袋に詰めてくれる…それだけで、有り難いと。
関わる人の親切が、自分にはイタいから、その痛みを緩和させるために、ワタシはお金を払うのだと。

『スワロウテイル』『リリィシュシュ』と監督は、世の中にある「お金」の価値について、一石を投じてきた。

今回は、その図式を裏返すような解釈で、「お金」がやさしさの代償だと位置づける。
そう読み替えることで、「世の中すべて幸せだらけ」と、うそぶくのだ。

表面的な体裁さえつけば、中身のことなんか構っちゃいない現代。
学歴や肩書き、整形までして表層的なスペックを揃え、「見た目」だけで判断するネット下支え社会。
「大学教授がマザコン」だったり、「イケメンがおかまちゃん」だったり、
「結婚式に出席する親族がみな代役」だったりと、ぐにゃぐにゃした中身と表層の均衡が崩れまくってる。

そんな時代にあって、「リップ・ヴァン・ウィンクル」な真白は、
関わるひとたちが優しすぎるから、お金を払う…だなんて発想で、身も心もズタズタに傷ついてしまう。

3時間もの上映時間、そのほとんどが欺瞞に塗れた「見える」表層ばかりの世の中で、なんともやり切れなくなるのに、
Cocco演じる「真白」の、その「見えない」世界への希求が、一条の光として絶望の未来に届くのだ。

岩井俊二監督の、その一貫した姿勢が、胸を打つ。
篠田昇カメラマンのアングルを踏襲する、揺れ続けるハンディのフレーミングも素晴らしい。
桑原まこさんアレンジのピアノ曲「歌の翼に」(メンデルスゾーン作曲)が深く深く胸に響く。

やはりやってくれました、必見です。