
芸劇の立石さんに刺激され行ってきました
『傷だらけの天使』ロケ地「エンジェルビル」こと代々木会館。
ショーケンの事務所だったペントハウスは震災で崩壊したまま。
ビル自体も3階の中国書籍専門店「東豊書店」より上には上がれないようになっていて、廃墟同然の状態。
不法侵入も多いらしく、ガードがキツイ感じ。
あの本の量であれば、まだまだこの状態が続きそうですけど。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

芸劇の立石さんに刺激され行ってきました
『傷だらけの天使』ロケ地「エンジェルビル」こと代々木会館。
ショーケンの事務所だったペントハウスは震災で崩壊したまま。
ビル自体も3階の中国書籍専門店「東豊書店」より上には上がれないようになっていて、廃墟同然の状態。
不法侵入も多いらしく、ガードがキツイ感じ。
あの本の量であれば、まだまだこの状態が続きそうですけど。

芸劇の立石さんに刺激され行ってきました
『傷だらけの天使』ロケ地「エンジェルビル」こと代々木会館。
ショーケンの事務所だったペントハウスは震災で崩壊したまま。
ビル自体も3階の中国書籍専門店「東豊書店」より上には上がれないようになっていて、廃墟同然の状態。
不法侵入も多いらしく、ガードがキツイ感じ。
あの本の量であれば、まだまだこの状態が続きそうですけど。

芸劇の立石さんに刺激され行ってきました
『傷だらけの天使』ロケ地「エンジェルビル」こと代々木会館。
ショーケンの事務所だったペントハウスは震災で崩壊したまま。
ビル自体も3階の中国書籍専門店「東豊書店」より上には上がれないようになっていて、廃墟同然の状態。
不法侵入も多いらしく、ガードがキツイ感じ。
あの本の量であれば、まだまだこの状態が続きそうですけど。

2005年から14年間、セルフビルドで建て続けている〈蟻鱒鳶ル〉に港区三田で遭遇。
再開発の魔の手がグイグイ拡がる聖坂の一画、
12坪ほどの土地に地下1階地上4階ほどの異彩を放つ建物。
建築家・岡啓輔さんがセルフビルドで建設中の〈アリマストンビル〉だ。
この状態まで14年の月日がかかっているのだけど、その再開発計画によって今まさに危機に直面中。
なんと、立ち退きを要求されているのだ。建物に貼られていた資料が興味深いので、そのまま引用する。
「即興」で踊るように建築をつくる…。「手で考え」ながら、建築を少しずつ作り上げていく…。
そうやって、有鱒鳶ルをセルフビルドで建てるアイデアが生まれた。
岡さんのめざす『〈即興〉の建築』を可能にしたのは、コンクリートという素材だった。
柔らかい生コンを型枠に流し込んでつくるコンクリートは、どんな形でも自由につくり出せる。
曲げや引っ張りに弱いというデメリットは、鉄筋で補強できる。
コンクリートも鉄筋も現場で形を変えられるから、思いついたアイデアをその場で実行できるのだ。
また、木造や鉄骨造の建築が複数の技術を必要とするのに対して、
鉄筋コンクリートはすべてをひとつの技術でつくるから、
ひとりで建築を成り立たせることができる。
これも『〈即興〉の建築』のために必要なことだった。
しかし、現実には施工されるコンクリートの品質は下がっている。
遠くから運んでくる生コンを固まらせないために、
水を多く混ぜるようになったのも理由のひとつだ。
作業効率のために、強度や耐久性が犠牲にされている。
それに対して、岡さんは自分で買ってきたセメントと水と砂と砂利を練って、
その場で型枠に打設している。水分含有量が極端に少なくて済むので、
専門家の見立てによれば「200年もつ」強い構造になったという。
このように、風の模様も面白い形の窓も、ひとつひとつに理由があり、積み上げてきた技術の裏付けがある。
いかに奇妙な形に見えても、蟻鱒鳶ルは岡啓輔という建築家の頭と体、論理と感情の融合によって生まれたものなのだ。
AIや効率主義の流れで、人間の指向がどんどん型枠に流し込まれるような
「融通の利かない」「四角四面で」「異端を赦さない」納まりの良いモノへと突き進んでいる中、
人間の野性性を信じ、感覚の趣くまま『〈即興〉の建築』を踊るように作り続けている…。
ここにもまたひとり、世に抗う同志がいた…と、その巡り合わせに嬉々とするのだった。
#photobybozzo

2005年から14年間、セルフビルドで建て続けている〈蟻鱒鳶ル〉に港区三田で遭遇。
再開発の魔の手がグイグイ拡がる聖坂の一画、
12坪ほどの土地に地下1階地上4階ほどの異彩を放つ建物。
建築家・岡啓輔さんがセルフビルドで建設中の〈アリマストンビル〉だ。
この状態まで14年の月日がかかっているのだけど、その再開発計画によって今まさに危機に直面中。
なんと、立ち退きを要求されているのだ。建物に貼られていた資料が興味深いので、そのまま引用する。
「即興」で踊るように建築をつくる…。「手で考え」ながら、建築を少しずつ作り上げていく…。
そうやって、有鱒鳶ルをセルフビルドで建てるアイデアが生まれた。
岡さんのめざす『〈即興〉の建築』を可能にしたのは、コンクリートという素材だった。
柔らかい生コンを型枠に流し込んでつくるコンクリートは、どんな形でも自由につくり出せる。
曲げや引っ張りに弱いというデメリットは、鉄筋で補強できる。
コンクリートも鉄筋も現場で形を変えられるから、思いついたアイデアをその場で実行できるのだ。
また、木造や鉄骨造の建築が複数の技術を必要とするのに対して、
鉄筋コンクリートはすべてをひとつの技術でつくるから、
ひとりで建築を成り立たせることができる。
これも『〈即興〉の建築』のために必要なことだった。
しかし、現実には施工されるコンクリートの品質は下がっている。
遠くから運んでくる生コンを固まらせないために、
水を多く混ぜるようになったのも理由のひとつだ。
作業効率のために、強度や耐久性が犠牲にされている。
それに対して、岡さんは自分で買ってきたセメントと水と砂と砂利を練って、
その場で型枠に打設している。水分含有量が極端に少なくて済むので、
専門家の見立てによれば「200年もつ」強い構造になったという。
このように、風の模様も面白い形の窓も、ひとつひとつに理由があり、積み上げてきた技術の裏付けがある。
いかに奇妙な形に見えても、蟻鱒鳶ルは岡啓輔という建築家の頭と体、論理と感情の融合によって生まれたものなのだ。
AIや効率主義の流れで、人間の指向がどんどん型枠に流し込まれるような
「融通の利かない」「四角四面で」「異端を赦さない」納まりの良いモノへと突き進んでいる中、
人間の野性性を信じ、感覚の趣くまま『〈即興〉の建築』を踊るように作り続けている…。
ここにもまたひとり、世に抗う同志がいた…と、その巡り合わせに嬉々とするのだった。
#photobybozzo

2005年から14年間、セルフビルドで建て続けている〈蟻鱒鳶ル〉に港区三田で遭遇。
再開発の魔の手がグイグイ拡がる聖坂の一画、
12坪ほどの土地に地下1階地上4階ほどの異彩を放つ建物。
建築家・岡啓輔さんがセルフビルドで建設中の〈アリマストンビル〉だ。
この状態まで14年の月日がかかっているのだけど、その再開発計画によって今まさに危機に直面中。
なんと、立ち退きを要求されているのだ。建物に貼られていた資料が興味深いので、そのまま引用する。
「即興」で踊るように建築をつくる…。「手で考え」ながら、建築を少しずつ作り上げていく…。
そうやって、有鱒鳶ルをセルフビルドで建てるアイデアが生まれた。
岡さんのめざす『〈即興〉の建築』を可能にしたのは、コンクリートという素材だった。
柔らかい生コンを型枠に流し込んでつくるコンクリートは、どんな形でも自由につくり出せる。
曲げや引っ張りに弱いというデメリットは、鉄筋で補強できる。
コンクリートも鉄筋も現場で形を変えられるから、思いついたアイデアをその場で実行できるのだ。
また、木造や鉄骨造の建築が複数の技術を必要とするのに対して、
鉄筋コンクリートはすべてをひとつの技術でつくるから、
ひとりで建築を成り立たせることができる。
これも『〈即興〉の建築』のために必要なことだった。
しかし、現実には施工されるコンクリートの品質は下がっている。
遠くから運んでくる生コンを固まらせないために、
水を多く混ぜるようになったのも理由のひとつだ。
作業効率のために、強度や耐久性が犠牲にされている。
それに対して、岡さんは自分で買ってきたセメントと水と砂と砂利を練って、
その場で型枠に打設している。水分含有量が極端に少なくて済むので、
専門家の見立てによれば「200年もつ」強い構造になったという。
このように、風の模様も面白い形の窓も、ひとつひとつに理由があり、積み上げてきた技術の裏付けがある。
いかに奇妙な形に見えても、蟻鱒鳶ルは岡啓輔という建築家の頭と体、論理と感情の融合によって生まれたものなのだ。
AIや効率主義の流れで、人間の指向がどんどん型枠に流し込まれるような
「融通の利かない」「四角四面で」「異端を赦さない」納まりの良いモノへと突き進んでいる中、
人間の野性性を信じ、感覚の趣くまま『〈即興〉の建築』を踊るように作り続けている…。
ここにもまたひとり、世に抗う同志がいた…と、その巡り合わせに嬉々とするのだった。
#photobybozzo

多田富雄_東京大学名誉教授
免疫学教室担任(1977-1994)
医学部にて。
#photobybozzo

飯倉片町の交差点で愕然とした。
「樺太会館・飯倉セントラルビル」が不在。
エアーパーキングという駐車場になっていた。
「樺太会館・飯倉セントラルビル」は、
ボクにとっての黒歴史とも言うべき、
ハヤサキスタジオのあったビルである。
→過去ブログ「そこに在る、ということ」
1965年建立のビルであり、「全国樺太連盟」という戦前に樺太に居た日本人の、
シベリア抑留の歴史を伝える人たちの拠り所であった建物なのだけど、
もはやそのような人々も皆鬼籍にはいり、組織自体も縮小してしまったのだろう、
平成25年にビルが売却され、おそらく即取り壊されてしまったのだと思う。
5年間知らなかったのも情けない話だけど。
プロカメラマンを目指し挫折した22歳の自分が苦しんだ場所。
苦い思いを宿しながら夜中の首都高を見下ろしていたビルが、
こうもあっけらかんと不在になることの、裏切られた感じ。
礎となった記憶が、奪われてしまったような、
黒く塗りつぶされてしまったような、釈然としない思いに囚われた。
「おいおい、おまえはそこにずっと在って、
その後の自分を見下ろす存在でなければ駄目なんじゃないか。」
そんな思いが錯綜する。
新ビルとして建て替えられていたなら、まだ救われていたかもしれない。
こんなカタチで不在を見せつけられてしまうと、22歳の自分が損なわれたようで、ほんとやるせない。
たかだか50年ほどの建物が、
こうやって簡単に、この世から消されてしまう無念さ。
オキナワ時代の知人が自ら命を絶った…という話も聞かされ、二重の不在が重なり、
「間違っていると知りながら前に進むしかない現実」
の虚空を見上げるのだった。

ナベサンこと渡辺英綱さんの『新宿ゴールデン街物語』読了。
ゴールデン街の歴史は元より、江戸から明治、戦中戦後の新宿の変遷までが網羅されていて、
この街が持つ底力を思い知ったのだけど、何より「ゴールデン街」が女の街であり、
寄る辺ない地方出身者が生きてきた街であること、故に社会との軋轢の中で積み重ねてきた
彼らの生き様が宿った場所なのだということが、ビンビン伝わってきて、堪えた。
なんと言っても【売春】の章が一番読み応えがあり、ハッとさせられること数度。
敗戦の屈辱とは、これほどまでにヒト以下の扱いを受けるのか…という感慨に、
今のオキナワの蹂躙な扱いが二重写しとなって見える。
結局のところ、この構図はアメリカ→日本→沖縄へとトリクルダウンしているに過ぎないのではないか?
この国は、どこまでもその構図をさまざまな関係に落とし込んでしまったのではないか?
…という思いに駆られるのだ。
その一節とは…こちら。
米軍兵士専用のセックス処理機関、特殊慰安施設教会(RAA=Recreation and Amusement Association)は、
日本の国家が「日本の娘を守る」ために、一億円の資金をもとに多くのプロ売春婦や、一般の日本の娘をかき集めて、
性の防波堤として設立させたものであった。
昭和20年8月17日に成立した東久邇宮内閣は、早くも翌日内務省警保局長名で進駐軍専用の慰安所設置を
全都道府県に指令、警視庁保安課は花柳界代表と具体的協議にはいった。
新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として、駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!
ダンサー及び女事務員募集。年齢18歳以上25歳まで。宿舎・被服・食糧全部支給。
このように書かれた看板が、日本のいたるところにかかげられた。
半年近く女の体に触れていなかった米兵たちは、ただ、欲望に目を血走らせながら、8月28日の先遣隊の厚木到着を皮切りに、
ぞくぞくと日本に上陸してきた。かれらは段違いな軍事力と巨大な体格の印象を、精根尽き果てた日本人に見せつけた。
彼らは破壊された道路を、ジープやトラックの隊伍を組んで進んでいった。日本全土に。そんなアメリカの兵隊を、
日本の女たちは不安と恐怖と好奇心の入り混じった眼をして家の陰から覗いていた…。
そして、とうとうその日がやってきた。
8月31日、午後5時、アメリカ兵による最初の凌辱事件が勃発した。東京都新宿区目白学園女学校4年の当時17歳の生徒2名が、
新宿の人混みのなかで二台のジープに乗った6,7人の米兵に拉致され、多摩川べりまで運ばれてそこで輪姦されたのである。
米兵は自動小銃をつきつけて二人の抵抗を抑え、ついでに一人の女生徒の腕時計と現金を奪って去って行ったという。
日本での米兵の性犯罪は、もっとも獣的でハレンチで悪質な輪姦という方法によって、しかも、拉致と掠奪をともなって開始されたのであった。
糸井しげ子は「日本ムスメの防波堤」で、こういっている。
「どこの部屋からも叫び声と笑い声と、女たちの、嗚咽がきこえてきました。
それをきいていると、日本の女が、戦勝国の兵隊のジュウリンにまかせられているという気が
しみじみとしました」
「はじめにきた30人の女のひとは、その二三ヶ月の間に病気になったり、気が違ったりして、半分ほどになっていました。
しかし、その半分のひとも、現在では、きっと1人も、この世の中に残っていないと思います。それほど、酷かったのです。
まったく消耗品と言う言葉がぴったりとあてはまるひとたちでした。とても、人間だったら出来ないだろうと思われることを、
若い、何も知らない、娘さんたちがやったのです。そして、ボロ布のようになって死んで行ったのです。
あのひとたちは、ただ食べるために死んだのです」
敗戦のカオスの中で、生きる術を見失い、それでも生きていくためにカラダを擲って、「性の防波堤」に尽くした女たち。
そのような底辺の生き様が、新宿の基盤であり、ゴールデン街の発祥と深く関わっていること。
そして、そのような凌辱のシステムが、アメリカから日本へ、日本からオキナワへとトリクルダウンしていること。
敗戦後73年を超え、なお今も、そのパワーバランスは崩れることなしに堅牢な構図として、この日本社会に蔓延していること。
その現実が、「消費社会」の魔物に冒されて見えなくなってしまっているのが、今の日本人なのだと。
ゴールデン街の生き様を目に焼き付け、その事実と向き合うことからしか、日本を変えることは出来ないのだと、強く強く深く深く刻まれた本でした。
#photobybozzo

武士をしっかり往生させてやらなければ、日本は救われないというのが、
ボクの基本的な考え方である。
武士は江戸時代にも往生しなかったし、実は明治時代にも往生しなかった。
往生しなかった武士の暴力性が、第二次大戦へと日本を導いた。
建設業も建築設計者も、すべて武士の生き残りである。
一刻も早く、往生させてやらなければ、何が起こるかわからない、
どんな暴力的な状況が起こるかわからない…と、ボクは危惧するのである。
そのためにとりあえず、ボクは倫理と美を否定しようと考えている。
敢えて誤解を招く言い方をすれば、日本の建築も都市も、必要以上に美しすぎ、ちゃんとしすぎている。
その武士道精神のおかげで、都市は立派だけれども、つまらなくなったし、
日本の建築単価は、世界に類がないほど、に高額となった。
武士と政治と経済とが結託して、外部参入のできない閉じた場所を作り上げたので、
いかにコストが高くても、何の問題にもならなかった。
この結託関係を打ち破るには、これまた誤解を恐れずにいうならば、
美の代わりに「商」を建設業に持ち込むことである。
江戸時代の武士たちは、「商」を徹底的に低く見て、排除した。
「商」の持つ、自由さこそが自分たちをおびやかすと見たからである。
士農工商というヒエラルキーが示すように、倫理と美を重んじる武士が最上位であって、
「商」は最下位として、貶めた。
同じようにして、日本の建築業界も、商業を低く見下ろしてきた。
商業建築に手を染めた建築家は低く見られ、高額な税金を投入して建設された公共の美術館、
文化施設を設計しないと、一流の建築家とは見なされなかった。
政治と業界との結託システムにしっかりと乗らないと、
建築界では一流の人、一流の武士と認められなかったのである。
↓ ↓ ↓
【人口減少社会の未来学】における建築家隈研吾氏の言葉。
まさに武士道〜。今の日本社会を被っている、偽善欺瞞の根幹は、コレだわ。
国会で官僚がことごとく政治家を庇う「虚の発言」をし続けているのも、
建前社会における武士道を履き違えちゃってるから。
江戸から明治へと移行するときに長州藩が強いた武士の矜持を、
敗戦後ののちも、天皇からアメリカへと敬う相手をすり替え、
ひたすら誇示し続けているから、
安倍がしどろもどろな発言を繰り返しても、
その矜持「保守」のため足並みを揃えている。
日本の街並がつまらないのも、その足並みの揃えた感じがあるからだし。
「葉隠」の右に倣えな理想ばかりで、
内実を伴わない人間ばかりが溢れているっつう。
この形骸化した日本を建て直すのは、やはり市民レベルの発想であり、行動なのだと。
正鵠を得たり…の、隈さんの言葉でした。