【Jun_21】室伏鴻アーカイブカフェ“Shy”

室伏鴻アーカイブカフェ
Shy

東京都新宿区早稲田鶴巻町557 小笠原ビル1F
Tel: 080-5538-640

1981年、室伏鴻は青山・キラー通りに「Shy」というカフェ・シアターを設えたことがあった。
室伏がどういう企画でそういう空間をもうけようとしたのか、今となっては確かめようもない。
しかし、幾度となく交わした言葉の断片をつなぎ合わせてみると、彼の企画はおぼろげながら浮かんでくる。

<中略>

ある場所に、ある人に、そこに様々な人が集まって、世界に対する見方や感性が変容していく、
そういう空間を室伏は企画していたのではないか。

わたしたちは年表をめくればすぎた時代のことは解るという楽天的な気持ちでいるが、
そんなことがあるわけがない。

2016年、室伏鴻はすでに喪われ、しかし、彼の意図・企画を継がんとする人たちによって、
彼が世界への身体と意思を培った、書籍や資料を集積した小さなアーカイブが開かれるという。

1920年代〜30年代が両大戦間期にあり、現在が1970年代〜80年代からも遠く、
ややもすると、世界に対する眼差しの多様さを否定し、
閉じられた感受性のようなものに自らを画一化しようとする風潮の中で、

その小さなアーカイブが、領域の外へと軽々越境していく交通のチチェローネのようなものであらんことを願う。
                                           [中原蒼二]

【Jun_28】慮る前に排斥し、なかったことにする自己防衛


「車いす客 階段上らされる」朝日新聞28日朝刊記事

「歩けないことを理由に搭乗を拒否」
「同行者が往路と同様に車いすごと担ごうとしたが、空港職員が制止」
「車いすを担いだり、おんぶして上り下りするのは危険なので認めていない」
「17段のタラップを独り腕のチカラだけで上った」
って、こないだの金さんのエピソードと同様、
負担を分け合うよりも先に「誰かが怪我をしたら大変」という正義の許、
企業側の責任回避が先立つ…という事態に。

これって、今の世の中すべてに言い得ることで、
何事をも未然に防ごうという意思(降りかかってきてからでは責任を負えない)故に、

ヘイトキャンペーンによる移民排除(日本人なら安心)、
南西諸島に自衛隊配備の「エアシーバトル構想」(トカゲのしっぽ)、
「共謀罪法」による理解出来ない集団の排斥(わからないのはNG)へとつながっている。

開国と同時に人畜害と決めつけオオカミを全滅させた
明治政府となんら変わることのないリテラシーのなさ。

慮る前に排斥し、なかったことにする自己防衛って、
実は91年の湾岸戦争で声高になった「自己責任」から顕著なのよね。
消費者マインドも甚だしいわ。

【Jun_16】壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。by神里達博


壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ。
                      by神里達博

今回成立した「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」
いわゆる『共謀罪法』がどのようなものかを
神里氏はこのコラムでわかりやすく説いているのだけど、

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ボク的にもしっくり来たのは
「壁は白いほど、小さなシミが気になるものだ」というコトバ。
巷にあるグラフィティを想起してもらうと納得だよね。
人間社会って本来カオスなワケで。
様々な価値観を持った奴らが色々いて、
そういった違いをお互い認めていくことで思考も成熟し、
面白いカルチャーが跋扈する(そう、跋扈するのよ)世界になるんだけど、

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安倍政権が目指しているのは、その真逆なワケ。
「白い」社会をより白く漂白することで「見通しの良い」
監視社会にしようってこと。

渋谷にあるこういったグラフィティが真っ白くなることで、
確かに社会から異物はなくなり、管理の行き届いた「キレイ」な街
(最近よくあるでしょ、こういう空間)にってコトだろうけど、
確実に無味乾燥してるよね。

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見るからに鬱蒼としていて、
色んな生き物がうじゃうじゃ跋扈しているような、
想像の域を超えた「わからないもの」「理解できないもの」…
そういうカオス混沌が、今後ますます排斥されていく
そうするとどうなるか。

ボクが好きな紅テントアンチボみたいな
常軌を逸したクリエイティブは生まれなくなる。

つまり、そういう人間はますます生きづらくなるってコトだよ。

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創造性に乏しい、発展性のない社会。
イノベーションなど望むべくもない、
インポテンツな世の中に、なっていくのだ。

クソだね。

【Jun_15】共謀罪法成立の“茶色の朝”に


“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」 
                            哲学者・高橋哲哉さん
  
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“まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば安心が得られて、
面倒にまきこまれることもなく、生活も簡単になるかのようだった。
茶色に守られた安心、それも悪くない。”

20年前にフランスで刊行されベストセラーとなった『茶色の朝』は、
「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、
“俺”と友人シャルリーの身の回りで次々に「茶色」以外の存在が認められなくなっていく物語だ。

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従っていればそんなにひどいことにならないだろう、
自分自身が危険にさらされているわけではないという感覚は、
多くの人に共通のものかもしれません。

心のどこかに引っかかるものがあっても、
日常生活に紛れて忘れてしまったり、
煩わしさに口をつぐんでしまったり……。

法律や制度にも、逆らわずにやり過ごしていれば、
とりあえず面倒なことにはならないだろうと。

そんな傾向が確かに私たちの中にもあるのではないでしょうか。

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「最初、彼らは共産主義者を攻撃した。
 私は違うから黙っていた。
 次に社会主義者を攻撃した。
 私は違うから黙っていた。
 次に自由主義者、次にユダヤ人……
 最後は自分も攻撃される側になったが、
 誰も助けてくれなかった」

   ↓  ↓  ↓
 今、日本で起きていることは全て、
多数の有権者が持する内閣の下で行われていることです。
結果は自分たちに跳ね返ってくる。
逆にいえば、今が社会を変えるチャンスかもしれません。
問題が大きくなるほど関心を持つ人も増える。
より多くの人が考えて、参加することが、
社会を変える力になります。
原発も米軍基地も実は自分たちの問題である
ということをどこまで考え続けられるか。
それを私たちは問われているのだと思います。