
7月7日に「7人執行」の見出し。
こんなドサクサ紛れの語呂合わせで、
オウム真理教の麻原彰晃以下、早川、井上、新実、土谷、中川、遠藤元幹部たちが
国家によって殺されてしまった。
2011年3月12日の原発事故以来の衝撃である。
殺人によって殺人に応える死刑制度の見直しどころか、
この国は毎年8人もの死刑をステディに執行している。
この国の歪みがその表出されたカタチのカルト集団を
徹底的に分析するのではなく、切り捨てることによって、
この国の歪みを硬直させ、恒常化させる行為。
【長州レジーム】が150年生かされていることの証左であろう。
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敗戦した日本は進駐軍の無遠慮な侵略に抗することなく
「努力して貧しさを克服する」という目標を掲げ、
無思想にひたすら「高度経済成長」とやらをひた走った。
そういった「ひたむきな」貧国ニッポンの「輝き」を
幼少時代に刷り込んだ世代が、80年代以降のバブル期を経、
産まれてきた意味を問う【実存の不全感】に苛まれたのは、必然だった。
その【実存】の埋め合わせに派生したのが『オウム真理教』であり、
その【不全感】を「ハルマゲドン」の世界革命=価値観倒錯で実現しようとしたのが、95年。
しかし、その実態は麻原尊師をトップに崇めたヒエラルキーの「忖度」競争組織であり、
教義や大義はタテマエだけの、閉じられた陳腐な「現代社会の縮刷版」であった。
産まれてきた意味を問う【実存の不全感】を克服すべく派生した集団が、
「現代社会の縮刷版」に収斂されてしまった事実は、私たちの生きる社会そのものが、
オウム真理教と相似形であることを物語っている。
つまり共通の感情として万人が持ち合わせている【実存の不全感】は、
95年から23年を経て、さらに基底化され、この現代社会の地盤を固めつつあり、
「ハルマゲドン」の世界改革=価値観倒錯を、誰もが無意識に追い求めているような
ある種「諦念」にも似た感情にぷかぷか浮かんでいるのが、現代だと言える。
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7月7日に「7人執行」の事実。
彼らを切り捨てることがつまり、
私たちの感受性をも切り捨てることにつながることを、
キモに銘じなければならない。
【長州レジーム】が齎したモノ、それはつまり、
「AI」を象徴とする、身体性の欠落である。
150年という時間をかけて、現代社会が指向してきたものは、
「身の丈」からの脱却ではなかったか?
経済システム、マネーゲーム、世界貿易、政治戦略、どれをとっても
もはやひとりの人間の手では収まらないコトばかり。
【実存の不全感】は、取り巻く社会の「手に負えなさ」厖大さに依るところが大きいと、ボクは考える。
オートポイエーシスという言葉がある。
生物は自身によって命を育み、命をつなげ、生き続ける…ということ。
生き続けることが自己目的化され、有象無象は存在する。
それはなにも地球上に存在する生命体だけではなく、
地球、引いては宇宙までをも包括する「考え」だとすると、
連綿と在り続けること、ステディに生きること、が本来なのだ、私たちは。
大地や空気や海や山や緑や虫たちと「共に在る」こと。
【実存の不全感】の諸悪の根源は、身の丈からの脱却に、ある。…身の丈の忘却、だ。
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オウム真理教が【長州レジーム】の徒花であることを、私たちはもっと真摯に受け止めるべきである。








