
テマヒマ展、いよいよ08/26まで。
東北の生きる力、東北の生活の術、東北の立ち位置、
そういったものが、テマヒマかけて創られたひとつひとつの物に宿っている。
こういった、ニッポンが忘れてしまった
思慮深いニッポンの原風景をしっかりと見つめ直すことが、
20年、30年後のニッポンを描くヒントとなるのだ。
あらためて東北のすばらしさに
感動をおぼえた。
竹野に住まう舞台写真家の地域自治。

テマヒマ展、いよいよ08/26まで。
東北の生きる力、東北の生活の術、東北の立ち位置、
そういったものが、テマヒマかけて創られたひとつひとつの物に宿っている。
こういった、ニッポンが忘れてしまった
思慮深いニッポンの原風景をしっかりと見つめ直すことが、
20年、30年後のニッポンを描くヒントとなるのだ。
あらためて東北のすばらしさに
感動をおぼえた。
東日本大震災から1年と半年。
もう、被災の傷跡はだいぶ癒されただろう…などと、
思っているひとは、この福島の現状をお読みください。
どれだけ凄惨かつどん底な状況にあるかを。
この記事を書いた永田さんの次の言葉を読むだけでも、
その度し難さがわかるかと思います。
以下。
●
この記事をいままで書くことができなかったのは、
書いてどうなるのだ、と思ったからだ。
すごく悲しい話を、そのまま書いていいものだろうか。
読んだ人を悲しい気持ちにさせて、
どうしようというのだろうか。
悲しい気持ちになってほしくて書くのか。
現状を知ってもらいたいという使命感が
はたして自分のなかにはっきりとあるのだろうか。
あるいは、荒れ果てた風景を伝えることが、
復興へ向かう福島のマイナス面を
強調しすぎるのではないだろうか。
だいたい、どうして、いま書く必要があるのか。
なにか、震災関連のタイミングに合わせて掲載したほうが
コンテンツとして自然ではないだろうか。
そもそも、ほぼ日刊イトイ新聞という場に、
この主観的なテキストは不似合いではないか。
「書いたほうがいい理由」と
「書かないほうがいい理由」の数をくらべたら、
「書かないほうがいい理由」のほうが圧倒的に多かった。
しかし、あるとき、ふと思った。
「書かないほうがいい理由」が
山ほどあるからこそ、書いたほうがいい、と。
そうでないと、ぼくらはことばを失うばかりである。
口をつぐんだほうがいい場面がどんどん増えていく。
真剣に考えたすえにことばを飲みこむ沈黙ではなく、
「無難な沈黙」「先送りする沈黙」だらけになってしまう。
なにかをやろうとするとき。
「やったほうがいい理由」と
「やらないほうがいい理由」を比べていったら、
きっと「やらないほうがいい理由」のほうが多い。
自分の中で多数決をしていたら、
たぶん、ずっと、なにもできない。
そして、これはとても大事なことだけど思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。
たぶん、ぼくは、そういったことがいやだったのだ。
それで、書かない理由がたくさんあるからこそ、
こうして、書くことにした。
すごく大げさにいえば、
ぼくはこのように生きていきたい。
悲しい話に、前向きで幸せな終わりの場面を
無理に書くのではなく、
けれども、悲しいなかにある微かな喜びを
まったくなかったことにするのではなく。
誰の心も傷つけたくはないが、
誰かが傷つくかもしれないということを言い訳に
ぜんぶの表現や、そのもととなる気持ちを、
最初からなかったことにしてしまいたくはない。
それで、ようやく、ここまで書くことができた。
書きかけて、何度も書きかけてはやめた話を、
ようやく最後まで書くことができた。
まだ迷いながらではあるけれども、
こういうふうにして進んでいくしかない。
とりわけ、誰にとってもわかりやすい一歩が刻める
見通しのいい道が見えづらくなってしまった
この時代においては。
おしまいに、新しく自覚しているのは、
どうやらぼくが福島という場所と
まだまだつながっていたいと
強く思っているということだ。
それがいったいどういう動機で、
なにをしていくべきなのかということは、
これから考えていきたいと思う。
( text by 永田泰大 )
●
そして、これはとても大事なことだけど思うのだけれど、
なにもできないことを、誰も責めはしないし、
事実、責められるようなことは、なにひとつないのだ。
だから、そんなふうにしているうちに、
月日はあっという間に過ぎてしまって、
「やったほうがいい」と思っていた自分は、
まるで、最初からなかったことになってしまう。
この内省の言葉は、昨日の野狐禅の歌詞に通じる。
すごく大げさに言えば、
ぼくはこのように生きていきたい。
悲しい話に、前向きで幸せな終わりの場面を無理に書くのではなく、
けれども、悲しいなかにある微かな喜びをまったくなかったことにするのではなく。
この愚直なまでの実直さが、物事を正確に読み取る。
ひとつひとつを丁寧に見つめ、自分なりに租借して、すとーんと腑に落とす。
青を塗って、白を塗って、一息ついて、最後に自分の気持ちを塗る。
その「ため」の時間が、ゴロンとした思いを吐き出す。
今のニッポンの情態は、まさに、このような気持ちで向き合わなければ、ダメだと、思う。
キレイ事は、たくさんだ。美辞麗句が聴きたいんじゃない。
ボクたちは、この実直で無骨な中にも、血の通ったゴロンとした言葉が必要なんだ。

今年の4月16日に「警戒区域」が解除され、
「避難指示解除準備区域」(年間積算線量20mSv以下)
「居住制限区域」(年間積算線量20mSv超)
「帰還困難区域」(年間積算線量50mSv超)
と再編された南相馬市小高区。
その「避難指示解除解除準備区域」は一日も早い復旧へと解除を急いだ感もあるが、
南相馬市ボランティア活動センターの現場に赴いてみると、その現状にただただ心の涙があふれた。
ここからが旧警戒区域(20キロ圏内)という電光掲示板の手前には、
除染を試みたのであろう、一面に広がる向日葵畑。
背丈の低い向日葵が一様に太陽を見上げる光景は、なんとも愚直でいたたまれなかった。
旧区域内は、昼間の活動は可能だが、夜間の寝泊まりは禁止されている。
道路も1年前のまま。ところどころに亀裂がはいり、陥没しているところもある。
上下水道も復旧の見通し立たず。電気はなんとか復旧しているようだった。
常磐線の小高駅近くにボランティア活動センターがあり、
そこで7組ほどの活動班に分かれ、それぞれの現場作業にあたる。
今はその活動のほとんどが草刈り作業だ。土曜日の参加者は70名ほど。
団体で40名ほどのグループが来ていた。
ボクも含めた7名は小高区神山のお宅で、草刈り作業。
常磐線「桃内」からほど近い。線量1.25μSv/h。決して低くはない。
センター周辺が0.25μSv/hというから、相当な量である。
小高区の除染作業は来年末までかかる見通し。
除染もおこなわれていない地域の草刈り作業…果たして意味があるのか…と、
おそらく現場に足を踏み入れていない人は思うかも知れない。
人っ子ひとりいない。気配も感じない。生活音も聞こえない。
走ってるクルマは公務員かボランティア関係者だけ。
1年間放って置かれた土地に、太陽光は燦々と降り注ぐ。
放射能の権化のようなセイタカアワダチソウが、田んぼという田んぼににょきにょきと生えている。
庭先に、玄関先に、道路の割れ目に、商店街の崩れた塀の脇に…。
これでもか、これでもか、というぐらいの浸食度で、セイタカアワダチソウが、生えている。
同じ緑色だから、違和感は軽減されているけれど、
これが、青い…もしくは赤いセイタカアワダチソウだったら…。
1年間放置された結果、自分たちの土地が、自分たちの生活の場が、自分たちの古里が、
青い…もしくは赤いセイタカアワダチソウに占拠されていたら…。
いや、きっと小高区の住民には、このセイタカアワダチソウは青や赤に見えていることだろう。
キレイに稲穂が頭を垂れているはずだったこの季節に、
自分の田んぼ一面にセイタカアワダチソウが繁茂している…この光景。
悪夢以外の何物でもない…。きっと吐き気を催すだろう。
ボクらが草刈り作業をしている時に、そこの家主のおばあちゃんが労いに立ち寄ってくれた。
「ホントは私は一刻も早く戻ってきたいのよねえ、この家に」
「でもねえ、戻ってきても田んぼもダメだし、畑もダメだし、なにもすることないんだわさ」
「帰ってくるとさぁ、雑草に覆われた家になっててさぁ、どーっと悲しくなるんだぁ」
「だからねえ、こうやって草刈りしてくれるだけでも、ホント救われた気持ちになるんだぁ、ありがとうねぇ」
おばあちゃんの家族はバラバラの状態で、仮設住まいを強いられている…とのこと。
自宅を奪われ、家族の団らんを奪われ、生活の糧である田畑を奪われ…。
1年半という月日が無為に過ぎていく。これから先の5年、10年…というスパンで、今後も。
小高区に限らず…浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、飯舘村、楢葉町、川内村、川俣町、葛尾村など
現在警戒区域、計画的避難区域、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域とされている地域の被災者は、
自分たちの居住空間が掠奪され、生活の基盤すべてが掠奪されてもなお、辛抱に辛抱を重ねている。
そのことをわかっての「収束宣言」だったのだろうか?
そのことをわかっての「再稼働」だったのか?
そのことをわかっての「意見聴取会」であったのだろうか?
目には見えない放射能。しかし、おばあちゃんは言う。
「放射能で庭の植木が赤茶に枯れてるでしょ。普通はこんな枯れ方しないから」
見ると庭の植木が赤茶に縮こまったようなカタチで枯れていた。
もしこれが放射能によるものだとしたら…背筋が凍る思いがした。
確実に放射能はこの土地を穢しているのだ…。セイタカアワダチソウが田んぼに繁茂するように。
何事も行ってみて体感して、はじめてわかることがある。
今からでも遅くはない。ひとりでも多くの人が、南相馬小高区へ足を踏み入れることを。
そして、その真実で一刻も早くの「原発全廃」が宣言されることを。
この穢れに応えることができるのは、その一言しか、ないではないか!!

今夜のデモには参加できず。
これから夜行バスで南相馬へ。
避難区域20km圏内からこの4月に解除されたばかりの小高区。
住民の避難は続いているが、ボランティア活動ができるようになった。
震災から1年と半年。しかし、震災後の被害のまま、この区域は取り残されている。
ガレキ撤去や草刈りなど、被災状態はまだまだ初期段階。
たくさんのボランティア活動が必要とされている。
まずはこの眼でその状況をたしかめてこようと思う。





