
アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。
ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、
ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、
最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。
この人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、
僕たちは彼らになら共感することが出来た。
僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に
激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。
まさにそれゆえに僕たちは
アメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱く事が出来た。
反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、
これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。
アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り返すことが出来る。
自分たちの祖先がネイティブアメリカンの土地を強奪したこと、
奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと、
それを口にすることが出来る。
そのような恥ずべき過去を受け入れることが出来る
という「器量の大きさ」において世界を圧倒している。
国力とは国民たちが
「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」
というセルフイメージを持つことで増大すると言うようなものではありません。
逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。
失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、
正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。
国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。
失敗したときに補正できる力のことです。
でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことが出来るのは、
しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。
僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。
(『サル化する世界〜比較敗戦論のために』より内田樹)
『サル化する世界』から一貫して内田樹が言いたいのは、「計量的な知性」を養え…ということ。
宮台真司の言う「損得マシーン」「法の奴隷」「言葉の自動機械」は、まさに「計量的な知性」の欠如だ。
制度を粛々と運用するシステムを疑わず、ポジション獲りに終始する人間のことだ。
だから、「計量的な知性」を養うために絶えずリテラシーを駆動させ、多義的に物事をみつめ、知を横断するタフさが必要だと。
そこから導かれる到達点は、「人間知を手放した開かれた世界」…という逆説。これが真理だと、ボクは思う。
知を突き詰めれば、身体的思考に到ることが出来る。知が四肢の隅々まで行きわたる感覚。
そのAURAが、時空さえ超越し、人々に感染し、新たな地平を拓くのだと確信する。
その知の揺り動かし、社会の外に目を持つ力が、ART=生きる力だと、ボクは思う。
その獲得こそ、身体的思考が必須なのだと。その歩みを続けることが、即ち、生きることだ。
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