
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ by 内田樹
大衆社会は、それがどのようなテクノロジーによって満たされ、
成員たちにどのような政治的特権を配分していようとも、
自己開放、自己超克の契機をもたないかぎり、本質的に「野蛮」な社会である。
なぜなら、大衆というのは本質的にきわだって「政治的」な存在であり、
大衆社会の究極の言葉は、「私には存在する権利がある。私は正しい」に集約されるからである。
それに反して、貴族社会とは「私の存在する権利」と「私の正しさ」がつねに懐疑されるような社会のことである。
「私」には「私以外のもの」に優先して存在する権利があるのかどうか、
「私」には「私以外のもの」を非とする権利があるのかどうかを
終わりなく思い迷うような人々によって構成されている社会である。
【on_Flickr】0220_LA→PETALUMA