
イ・チャンドン監督『버닝』(Burning)
「時々納屋を焼くんです」
「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がするんです」
「15分もあればキレイに燃え尽きちゃうんです。まるでそもそもの最初からそんなもの存在しなかったみたいにね。
誰も悲しみゃしません。ただ_消えちゃうんです。ぷつんってね」
「でもそれが不必要なものかどうか、君が判断するんだね」
「僕は判断なんかしません。観察しているだけです。雨と同じですよ。
雨が降る。川があふれる。何かが押し流される。雨が何かを判断していますか?」
(村上春樹著「納屋を焼く」より)
納屋を焼く…という行為にもつれる人間関係を、
「見る/見返す」の映像描写で巧みに演出する監督。
イノセントな存在がモラリティーに排斥される非業を、
秩序の外側から見守ることで、その居場所を真摯に問う。
「納屋を焼く」とは、どういう行為なのか?
不要なモノを排除する…雨が降って川があふれ、押し流されるように。
それは自然なことなのか?
排除し、存在を打ち消し、そもそも無かったかの如く振る舞うことが、正義なのか。
「見る」という一方通行の思考からは生まれ得ない答えを、
「見返す」という多義的な視点を提示することで【救い】を予感させる結末は、
イ・チャンドン監督の一貫したテーマだと思う。
それは村上春樹もまた、小説の中で提示し続けてきたものだ。
「見返される」ことで生まれる実在感。能動的であれ!と煽動する社会において、
受動態の貴さを鮮やかに見せた映画。必見。
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