【May_10】不条理劇の基底は、未済性の完結。


現代劇作家シリーズ7『別役実』2017.4.25-5.9
『正午の伝説』@日暮里d-倉庫、終了しました。

昨日のシンポジウムには顔出せず残念でしたが、別役実さんのテキストは硬質でした。
7度の主宰伊藤全記さんとお話する機会があり、テキストに対する深読みが増したのですが、
そもそもこの不条理劇というものが何故生まれ、この現代においても大きな感慨を与えるのか。

そこが大きい…と、ボクは思います。

戦後の混乱期、同時多発的に世界で生まれた「不条理劇」。
やはり理屈が通らない戦争体験に端を発しているのだと思いますが、
戦後72年経って、未だに「不条理」色が薄まらないのはどうしてか?

人間社会全体が戦後の「取り返しのつかない」状態から恢復していないのだ…に尽きるのだ…と思うのです。
これを精神病理の世界ではメランコリーと呼ぶそうです。

メランコリー=鬱状態。
「取り返しのつかぬ」未済的事態から将来への選択や希望が失われた状態を云います。

精神医学者の木村敏先生は、人間はもともと未済的存在であると説きます。
「われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない」と。
人間は常に取り消しようのない事実としてこの世に生きており、
しかもこの存在の「成就」には遅れをとっている。
常に本来の自分に成り切ろうとして、果たせないでいる状態なのだ…と。

しかし、その未済的性格であるが故に、人間は前を向いて生きていけるのだとも説きます。

「われわれは未済だからこそ、われわれにとって選択と決断が保証され、われわれにとって将来が可能になる。
将来という時間性は、われわれの存在の未済性が前進の可能性を保証する限りにおいてのみ可能」
なのだ…と。

将来とはつまり、今の私たちに希望を与えると同時に決断を課し、
現在の存在に価値と意味とを与えるもの。

メランコリーとは、その希望と決断を奪われたことで起こる自己存在の否定、未済性の完結なのです。

「不条理劇」の基底となっているのは、この未済性の完結です。
物語や会話が未済のまま放置されている。
人間関係が未済のまま行き場を失っている状態。
未済のままだから、観る側の思考や感情もそこに留まり、
次の一歩を踏み出せない状態になる。

それって、まさに今の日本そのものではないですか?

戦後72年、敗戦した事実への清算を経ないまま受動的に「経済復興」を荷負わされ、
東アジアの政情不安から受動的に「警察予備隊」が生まれ国連軍へ参加、
「日米地位協定」での密約やらなんやらは決して明らかにされず、
「沖縄」では新たな基地が生まれようとしている。

ずーっと、ずーっと、対米隷属の日本国家で在り続け、
植民地状態であるにも関わらず、安倍政権が長期君臨し、
大概の国民はその事実を振り返ろうともしない。

フクシマも原発も、森友学園の真相も、安倍夫妻との関わりも、闇の中。


ホントにこの国は、肝腎カナメの根幹が、ドーナツの中心みたいに真っ暗闇なんです。

すべてが未済のままやり過ごしを余儀なくされている。
なんなんすか?全国民メランコリックで今後も在り続けるのでしょうか?
「不条理」だ〜、で生き続けるのでしょうか?
「不条理劇」で代替成就してる場合じゃないと思います。

もはや身体的な部分で、支障を来していると。カラダが悲鳴を上げてますよ。