【Feb_25】個人の自由が、社会の努力によってもたらされることはありえない。


自由は、それに対して一銭も払うことなく、
どんな精神的努力も自分に課すことなく利用できる
川の水のような与えられたものではない。

どんな自由も、それを得るために支払わなければならない
精神的な作業なくしては、人間を最終的に満足させることはできない。

真に自由な人間は、
ことばの利己的な意味では、
自由ではありえない。

個人の自由が、社会の努力によってもたらされることはありえない。

我々の未来は、我々自身以外の誰にも依存していない。

我々は全てに対して、
他人の労働や他人の苦悩で
支払うことに馴れてしまった。

自分のものでは決して支払おうとしない。

我々は「この世界の中のすべては関連しあっている」
という単純な事実を、考慮に入れようとしない。

我々は自由善悪の選択の権利を
ことごとく与えられているのだから、
偶然性は存在しないのだ。

(中略)

ロシアでは
「鳥が空を飛ぶために生まれたように、人間は幸せのために生まれた」
という作家コロレンコの言葉が好んで繰り返される。

この確信ほど、人間の存在の問題から
遠く懸け離れているモノはないように思われる。

【幸せ】それ自体などという概念が
人間にとって何を意味するのか?
私にはまったく理解できない。

それは満足のことを言っているのだろうか?

調和のことだろうか?

しかし、人間が常に不満を覚えているのは、
目指しているものが
何か具体的で有限な課題ではなく、
無限それ自体だからだ…。
(Andrey_Tarcovsky)

2017年米澤一平企(季)画vol.4
みかんの冬-Mikan no Fuyu-
2017.02.22-26(Tue-Sun)@Space N-AS