
「民の原像」と「死者の国」by 内田樹
この論考は、西郷隆盛が同志朋友の死によって
「死者の国」に足を踏み入れ、民衆の後ろに「死者の原像」を見たことで、
政治的エネルギーを持ち得たのだ…という話なのだけど、
こないだの舞台『玉川太福譚』にもその符合を感じる。
【on_Flickr】0119_DAIFUKU
太福さんは2ヶ月余りで師匠の福太郎さんを喪い、その後父を喪い、武春師匠も喪った。
浪曲師を目指してから襲われる相次いでの不幸に、ぽっかりと胸に穴があいたみたいだ…
と本人も述懐されている。
しかし、太福さんは慕った人たちの死によって
「死者の国」に足を踏み入れ、死のエネルギーを受けとったのだと思う。
浪曲師への道…その目標が明確となり、
師匠たちの後ろ盾によって、自身を奮い立たせることができたのではないか。
その霊的ポジションが、彼をここまで育てたのでは?
死によってもたらされた確信が、彼をうまく導くのではないか?
どんな状況下でもステップを踏み続けられる気力を与えてくれたのでは?
死はブラックホールに喩えられるが、
まさにその絶大な力から引き寄せる何かが
きっとあるのだとボクは信じる。
アマヤドリ本公演『銀髪』にも、そのような
「死の求心力」が感じられるのだけど、そのことについては後日。