
【on_Flickr】JORDAN_2015
【on_Flickr】0920_JORDAN
一神教が生まれた中近東のあの荒蕪の地においては、砂漠の彼方から身に纏うものもなく、
飢え乾いた旅人が倒れるように幕屋を訪れることは、ある意味日常的な出来事だったと思うのです。
寡婦、孤児、異邦人的な様態は決して例外的なものではなかった。
それは「ひとごと」ではなく「わがこと」であった。
ボクたちはレヴィナスを読んでも、それは「寡婦、孤児、異邦人」のような
赤貧の人が家の扉を叩いた場合に私たちはどう振る舞うか…と、そういうふうに問題を立ててしまう。
「いい人」として迎え入れるべきか、「いやな人」として鼻先で扉を閉めるべきか。
そういう道徳論の枠内で考えてしまう。
いずれにせよ、
他者を歓待するかしないかの決定権は
主体である自分にあるということは、
無意識のうちに前提になっている。
自分自身が裸で、飢えて乾いて見知らぬ異境をさまよっていて、
知らない人の家の扉を叩くという場合を、まるで想定していない。
もしそういう立場であれば、否も応もない。
とにかく扉を開いて中へ入れてもらって、
食べ物と飲み物をもらわなければならない。
ここで今、歓待されなければ、凍えて、飢えて、死んでしまう。
そういう赤貧の状態をデフォルトにした倫理でなければ、
遊牧民的生活では通用しない。
そのキビシイ条件の上に一神教は成立したのだろうと思います。
(内田樹×中田考「一神教と国家」より)