
永岡大輔個展「千年燃え続ける炎と8分19秒前に消えた星」@hpgrp_gallery
13日(日)まで会期延長。
●
ボクは学生生活で「美術」というものを選択してから今まで常に、
社会のいとなみにおける「美術」の立ち位置、
つまりは「社会」におけるボクの立ち位置を模索して生きてきた。
「社会」とどう折り合いをつけるか、
「社会」においてどう必要とされる存在になるか、
「社会」にどう迎合するか…。
そのような強迫観念…「社会」への反発がレゾンデートルであった生き方への、
軌道修正みたいなところでモンモンと年を重ねてきた…というのが、正直なところだ。
●
しかし、フリーランスとして「社会」に対峙するようになって、
そのような生き方は間違っている、と気付かされた。
そもそも「社会」に迎合したところで、自分が摩耗していくだけが関の山、
フリーランスにはフリーランスの矜持でもって
「社会」に新たな価値観を見せなきゃいけない、と思うようになった。
それはそのまま「社会」における「美術」の立ち位置ともつながってきて、
「社会」のオルタナティブな面が「美術」であり、
人間のいとなみにはその両翼があってこそ、
しっかりと飛躍飛翔することができるのだ、という確信にまで着地することができた。
●
永岡大輔というアーティストは、
「社会」と「美術」の関係性を常に意識している作家だと、
初めて作品に触れた時から思っていた。
作品に触れるたびにその度合いは濃くなり、
新たな気付きを与えてくれて、勇気を受け取っているのだけど、今回は…震えた。
もちろん、作家は作家なりのいとなみ、
ボクはボクなりのいとなみがあって、
試行錯誤の日々を重ねながらある時交わるのだから、
タイミングに依るところが大きいのだけど、
今回はドンピシャ!に共振するものがあって、打ち震えてしまった。
●
永岡さんの手法は、長大なプロセスを映像で圧縮することで成り立っている。
一枚の紙に鉛筆で絵を描き、消し、描き、消し…を繰り返す行為を
そのまま録画→早回しに見せることでアニメーション作品として提示する。
その気の遠くなる作業、無駄とも思える行為の繰り返しが
ギューっと圧縮されることで様々な不協和音を取り込み、
観ている者の心に痕跡を残す。
描いては消し、描いては消し、の労力の痕跡も、
圧縮された映像の中には亡霊のように残っていて、
その事実にハッとさせられもする。
そして気付くのだ。
自分たちの社会のいとなみ自体も、描いては消し、描いては消し、を繰り返しているのではないか…と。
作家の創作行為は、神の視点でもって作品を導き、
しっかりとした世界観へと着地することができるのだけど、
果たして自分たちの描いては消し、描いては消し、の反復行為は
いったいどこへ向かっているのだろうか?
日々刷新し、着実に進化していると思っている社会のいとなみは、
人間を高みへ導く結果をもたらすのだろうか・・・?
デジタルの介在でなにもかもが
安直に即席にコンビニエンスに我が物となる世の中だけに、
そのいとなみも意外とたやすく「白紙」に戻る危険を孕んでいないか・・・?
何より毎日のいとなみが無為なものとしてどこにも辿り着けないまま「白紙」となるならまだしも、
取り返しのつかない「着地点」へと導かれ、
後戻りできない絶望感に至る「結果」へと自分たちは突き進んではいないだろうか・・・?
描いては消し、描いては消し、の長大なプロセスでも、
集積され圧縮されれば「美しい作品」として成就する…という事実は、
自分たちの毎日のいとなみに大いなる示唆を含んでいる。
そのような鳥瞰な神の視点を気付かせる「美術」が、
「社会」におけるオプションだと思考する現代社会のいとなみは、
自省を内在化しない点ですでに「アウト!」なのだ。