
目黒の喜多六平太記念能楽堂へ。
ここでも「井筒」と「葵上」を鑑賞。
いやあ、すばらしかった。
能が制約された舞台芸術だということを
まざまざと思い知らされた。
そぎ落とせるだけそぎ落としてこそ、
真実が見える。
ニッポン人がなぜ五七五の俳句に
こうも心奪われるのか、
そぎ落とすことの美徳というのだろうか、
質素の本質を見た…と思った。
女の情念が生き霊として顕れる「葵上」。
そのすざまじさ。
般若の面は女のジェラシーの顕れであることを
この舞台でしかと確認。
仙台の母方の実家に
なぜ般若面があったのか…
その般若面で叔母に泣かされた記憶が
今になって甦ってくる。
あれは女の嫉妬がツラに定着したオモテだったのね。
吉原といい、般若といい、
ボクはそういった女の「浄・情・貞・醸・擾」といったものに
強く惹かれる性癖があるのかもしれない。